(2000年6月30日)
松島理恵は、佐倉市の出身。イタリアに留学してオペラ歌手になっている。
マグダ・オリヴェッロに認められた。いうまでもなく、世界一流のオペラ歌手である。若き日のマグダはオペラ歌手をめざしたとき、あまりいい教師に恵まれなかったという。声や横隔膜の性質も知らない教師に教えられたため、オペラ歌手としての可能性が消えそうになった。しかし、最後にひとりの素晴らしい先生にめぐり会って、はじめて才能がいっきに開いたという。そういうマグダに教えこまれたのだから、松島理恵もずいぶんきびしい練習できたえあげられたに違いない。声と演技の訓練にどれだけ努力を重ねたか、これでも想像できる。
成果は輝かしいものになった。94年、バルセローナの国際コンクールに出た。翌年、フェニーチェ劇場で、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」でデビューした。フェニーチェは、世界で最初の市立歌劇場で、ロッシーニの「タンクレディ」(1813年)や、ベッリーニの「カプレッテイとモンテッキ」(1830年)、ドニゼッティの「ベリッサリオ」(1836年)の初演といったレパートリーを見ても、その歴史はヴェネツィア市史と重なるばかりか、イタリア・オペラの運命さえ担っている。
松島理恵は、プッチーニの「修道尼アンジェリカ」に出演して、うるさい批評家たちに称賛されたり、最近では、国際プッチーニ・コンクールで特別奨励賞を受け、連続入賞を果たしている。
フェニーチェで、デビューを飾った日本の女性シンガーは、松島理恵がはじめてといっていい。これはミラーノのスカラ座でデビューするほどにも大きな事件なのである。