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■ アリダ・ヴァリ追想 |
Date: 2006-05-22 (Mon) |
アリダ・ヴァリがロ−マの自宅で亡くなった。(06.4.22.)享年、84歳。
もう誰も知らない名女優。代表作は「第三の男」(キャロル・リ−ド)、「夏の嵐」(ヴィスコンティ)だろうか。
あまり知られていない略歴を書いておく。本名、アリダ・マリ−ア・アルテンブルガ−。生地はユ−ゴスラヴィア、プラ。1921年5月31日、生まれ。
1936年、本名で映画に出た。戦前のムッソリ−ニ時代から美貌で知られて、十代から「ペッカ−トの家」(38年)、「マノン・レスコオ」(39年)、「愛より強く」(40年)、「聖なる愛」(41年)といった映画に出ていた。むろん私は見ていない。
戦後の彼女は外国映画に進出した。アリダ・ヴァリは、「パラダイン夫人」(ヒッチコック/47年)で成功した。これは、アリダ・ヴァリにとっては大きな賭けだったという気がする。なぜなら、戦前のイザ・ミランダはハリウッド進出に失敗したし、戦後、イタリアを代表する女優、ソフィア・ロ−レン、ジ−ナ・ロロブリジ−ダ、クラウディア・カルディナ−レでさえ、かならずしも成功したとはいえなかった。しかし、アリダ・ヴァリは、「パラダイン夫人」で、犯罪者であっても、観客の共感を喚(よ)を呼ぶタイプの女を演じた。このあたりにアリダ・ヴァリの大きな資質、成功の基本があったと見ていい。
「第三の男」は、ヒッチコックの影響をうけていた。この映画が成功した大きな理由は、オ−ソン・ウェルズの起用にあった。しかし、グレアム・グリ−ンの原作に描かれていた、戦後、壊滅したベルリンは連合軍の占領下に不法滞在者が流れ込んだ状況も、当時としては驚きをもって見られたといってよい。頽廃のなかで生きているしがない踊り子、アリダ・ヴァリの姿に、戦後の観客がひそかな共感を寄せたことに、この映画の成功した理由があったはずである。
「第三の男」のラスト、愛人の葬儀に立ち会ったあと、長い並木道を歩いてくるロング・ショット。高くそびえ立つ木々の葉が落ちている。アリダ・ヴァリの姿が少しづつ大きくなってくる。墓地の入口にとめた車の横に、主人公(ジョゼフ・コットン)が立っている。アントン・カラスのツィタ−のテ−マが流れるだけで、すでに木の葉が落ちてしまった墓地の並木道をまっすぐ歩いてくるアリダ・ヴァリの姿が、少しづつ大きくなってくる。そのまま彼に眼もくれずに歩み去って行く。
このシ−ンは戦後の映画史に残るだろう。
アリダ・ヴァリは、この映画の成功につづいて、フランス映画に出た。イ−ヴ・アレグレ、アンリ・ドコワン、ロジェ・ヴァディムなど映画でたてつづけに成功している。
私たちは「夏の嵐」(ルキ−ノ・ヴィスコンティ)で、はじめて、アリダ・ヴァリが「第三の男」だけの女優ではなく、貴族的な気韻をもった女優ということに圧倒されたというべきだろう。
彼女は美貌だったが、同時代のブリジット・バルド−や、ロミ−・シュナイダ−や、クラウディア・カルディナ−レのような美女ではなかった。だから、恋愛が大きなテ−マの場合でも、寝室でおだやかに愛を語り、ロマンスの帰結であるキスをかわしあう典雅な魅力のある女性といった女を演じることはなかった。
セクシイな女優でいながら、プロデュ−サ−も映画監督も、観客の欲望をそそるために起用することがなかった。このことは、アリダ・ヴァリにとっては、自分がセクシイかどうかはどうでもいいことだったと見ていい。だから、ヒロインのセクシイなイメ−ジや、ステレオタイプから、いつも遠くにいた。
どんな「役」を演じても過不足のない女優だった。その根底にあったものは、なまなかな女優のもたないフレクシブルな知性、感性だった。
私の勝手な見方では、「戦後」の女優のなかで、アリダ・ヴァリは、マリア・シェル、アヌ−ク・エイメ、ジェ−ン・フォンダとならんで、ヨ−ロッパきっての名女優なのである。
彼女たちは、それぞれまったくタイブが違っていたが、ほぼ共通していたのは、ときには激情にかられて男に全身をゆだねる女、そういうひたむきさを演じてきたこと。それがアリダ・ヴァリのセキシネスであり、女としてのいのちのつよい実質といった感じをあたえている。
ただ、いつまでも「第三の男」と「夏の嵐」の強烈な印象がつきまとったことは、女優としては不幸なことではなかったか。残念なことに、私たちはこの二作以外のアリダ・ヴァリをあまり評価することがなかった。
後年のヴァリは、「サスペリア」(ダルジェント)といったくだらない映画に出たが、演技的にはいささかも衰えてはいなかった。私はヴァリだけを見るためだけに、この映画を何度もくり返して見たのだった。
アリダ・ヴァリが亡くなった。私の胸にはひそかな哀惜がある。
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