犯罪のプロフェッショナルには二つの違うタイプがある。一つは、あくまで自分の利益のために罪をおかすタイプ。もう一つは、おもにゲームのために罪をおかすタイプ。この両者の中間に、どっちつかず、あるいはどちらの犯罪でも平気で犯す多数のプロ犯罪者がいる。
いわば「強迫的な」(コンパルシブ)勝利者ともいうべき犯罪者のタイプがあって、警官につかまらないことを誇りにしながら、大口に稼ぐ犯罪者もまれにいるらしい。こういうプロフェッショナルはアンタッチャブルなのだ。
ブルース・ゲラー監督の「黄金の指」の、ジェームズ・コバーンはこのタイプの「アンタッチャブル」といってよい。彼は“鉄砲”というスリの専門家で、ウォルター・ピジョンが“目つけ”(カモを見つける役)、マイケル・サラザンが“サクラ”(みごと獲物をしとめたコバーンからブツをうけとる役)、そして新人女優、トリッシュ・バン・ディーバーが“オトリ”(自分の性的な魅力でカモの注意を惹きつける役)になっている。
この四人のスリ・チームは一流のホテルに泊り、最高の服装で、最高の食事をしながら、中小都市のメイン・ストリート、競馬場、野球場などでつぎつぎに戦果をあげてゆく。
稼ぎ場はシャトルやソルトレーク・シティなどで、美しい都会を舞台にみごとなチーム・ワークで荒かせぎをするこの四人のスリは、これまで映画にあらわれた犯罪者のなかでも特異なものといえる。コバーンの渋いカッコよさには、スリというゲームに全身を打ちこむプロの根性があって、つまり、運命を相手にプレイする人間のはげしさがみなぎっている。おもしろいことに、ラスト・シーンには「北国の帝王」(リー・マービン主演)とほとんどおなじ思想があらわれている。激烈なゲームは勝とうとする欲求に比例するのであって、若い連中にはできない。できないとわかったらやめてしまえ、という思想で、これもアメリカの精神的状況が反映しているといえよう。
映画ではじめてスリを描いた名作、ロベール・ブレッソンの「スリ」とは違ったエンターテインメントだが、若いサラザンとバン・ディーバーの恋のかなしさ、老年のスリが逮捕される場面のいたましさに、現代人の孤独がぎらりと露呈している。