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■ 小林正治 |
Date: 2005-09-15 (Thu) |
小林正治は、ほとんどすべての主題を、女のヌードと海と空と樹々、ときには異国の城砦に選んでいる。あきらかにエグゾティックな主題だが、私はこれをエグゾテイシズムと呼びならわすことを避ける。
女のヌードは、彼においてはしばしば虚空に妖しく重なりあう影をともなう。そのトロンプルイユめいた虚実の重なりに、いわばエロティスムを顕現させ、それに惹かれる私たちのまなざしを支配する。
さまざまな姿態を見せている女たち。かつてはそのほとんどが顔をもたなかった。一瞬の動きのなかに、顔をもたない女たちの純潔なエロスが輝き出す。
そして、ある時期から小林正治の女たちは顔を見せる。ほとんどマキアージュというべき顔を。その顔は、ヴィザージュ(容貌)というよりマキアージュ(化粧)というべきもので、どこか倦怠を秘め、しかも可憐で、いやしさはみじんもない。彼女たちのヴィザージュは、魂のなかに折りこまれているに違いない。
たとえば海岸に、しどけない姿態を見せている女がいる。そしてはるかな地平と、波と、雲と。そこに時間がひっそりと息づいている。その時間は、一瞬一瞬、見る人の内部からふきこぼれて永劫の虚無のなかに堕ちてゆく。そして、私たちは、そこに遠近法を見るのではない。むしろ、視差を見ることになる。めくるめく色彩の視差を。
時間や空間の既成概念をひっくり返すような絵のなかに、小林正治のつよい認識とそれをささえる愛がたゆたっている。
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