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  アートエッセイ評伝創作エロス

 

目次

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「視線のエロス」

強靱なリアリスト

「黄金の指」

アリス・ガーステンバーグのこと

アディユ−、シモ−ヌ

アリダ・ヴァリ追想

「オーメン」回想

ジャスミンの花開く

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セザンヌの石ころ

小林正治

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 ■ アディユ−、シモ−ヌ Date: 2006-08-15 (Tue) 
 
 女優のシモ−ヌ・シモンが亡くなったのは、05年2月22日。享年、93歳。
 誰か追悼のことばを捧げるのではないかと期待したが、誰も彼女の映画を知らないらしく、追悼する人もいないようだった。エドウィ−ジュ・フィエ−ルが亡くなったときだって、誰ひとり吊詞を書かなかったけれど。

 1914年4月23日、マルセ−ユ生まれ。(新聞のオ−ビチュアリでは1911年生まれになっていた。)
 母がイタリア人。1930年、パリに出て、衣装関係の工場で、デザイン助手のような仕事をしたという。まあ、お針子に近い仕事だったのだろう。30年に「知られざる歌手」(V・トゥルヤンスキ−監督)に出たというが、16歳、端役もいいところだったに違いない。
 私の調べたところでは、まったく無名の踊り子として「ボゾ−ル王の冒険」という舞台に出た。この踊り子たちのなかに、シュジ−・ドレ−ル、メグ・ルモニエたちがいた。
 翌年、映画監督、マルク・アレグレが、「マムゼル・ニトゥシュ」に起用している。さらに32年、イタリアのカルミネ・ガロ−ネ監督が「アメリカの娘」で彼女を使っている。どうやら「娘役」(ジュヌ・プルミエ−ル)として認められたらしいが、戦前の日本では見る機会がなかった。
 彼女の存在が知られたのは、「乙女の湖」(マルク・アレグレ監督/34年)だった。
 私は戦後すぐに、偶然、この映画を見た。シモ−ヌはまさに青春の輝きを見せていた。敗戦直後の日本には見られない輝き。まだ戦争の影がさしていないフランスに、こういう美少女が存在していた。いや、戦後のフランスもまた、さまざまな脅威にさらされている。そうした混乱の彼方に、なお、こういう「戦間期」の美少女を見ることが、私にとって救いに見えた。こういう輝きは、シモ−ヌを見るまでは知らなかった。これは発見だ。私はそんなふうに考えたらしい。シモ−ヌの、ほとんど高貴といっていい明るさは、清らかな水のように私の心にしみた。
 美貌だが、チンクシャでオチョボグチ、幼さと妖艶さがいりまじった美少女。まるでネコ科の動物のような魅力があった。現実にも“Femme−chatte”と呼ばれていたことをずっとあとで知って、なぜか納得したおぼえがある。この映画で妹をやっていたのがオデット・ジョワイユ−。まだ、少女だった。
 この映画のあと、シモ−ヌはすぐにハリウッドに招かれた。残念ながらこの時期のハリウッド映画は見ていない。
 フランスに戻って、「獣人」(ジャン・ルノワ−ル監督/38年)でジャン・ギャバンと共演した。かつての美少女が、まるっきりゾラの女になっていた。
 シモ−ヌがふたたびアメリカに移ったのは、第二次大戦が起きたことによる。
 この時期の映画は見ることができた。日本で公開されたときの題名は忘れたが、「悪魔とダニエル・ウェブスタ−」(ウィリアム・ディタ−レ監督/41年)や「キャット・ピ−プル」(ジャック・トゥルヌ−ル監督/42年)など。
 私にとってもっとも興味があるのは、戦後すぐにフランスにもどったシモ−ヌの「ペトリュス」(マルク・アレグレ監督/46年)である。これは、1934年、ルイ・ジュヴェが舞台で上演したもの。これは見たかったなあ。
 シモ−ヌの映画は、当時の日本には輸入されることがなかった。それに、シモ−ヌを追って、戦後はダニエル・ドロルム、フランソワ−ズ・アルヌ−ル、ダニ−・ロバンたちがぞくぞくと登場してくる。
 1950年、シモ−ヌはマックス・オフュ−ルスの「輪舞」に出た。翌年、「オリヴィア」のシモ−ヌを見たのが最後だった。

 私たちは、映画や舞台で、ほんとうにみごとな演技を見せる美少女たちをたくさん知っている。たとえば、イザベル・アジャ−ニ。たとえば、ジョデイ・フォスタ−。しかし、シモ−ヌのように、しなやかな、まるでネコのような女優、豪奢な毛並みのよさ、狡猾で、すばやい動き、そのくせどこかもの倦い感じをもった女優はほんとうに少ない。チンクシャのペルシャネコのような不思議な魅力。そこに見える、若い女のくもりのなさ。そのまなざしに残忍な光りをたたえて。その姿態はエロティックだが、激情は見せない。現在の女優では、いくらかレニ−・ゼルウィガ−が近い。むろん、シモ−ヌとはまるで似ていないけれど。

 93歳。あの美女が老婆になったところは想像もつかない。三島 由紀夫の『卒塔婆小町』のことばを思い出す。「あんたみたいなとんちきは、どんな美人も年をとると醜女になるとお思いだろう。ふふ、大まちがいだ。美人はいつまでも美人だよ。」
 そうなのだ。
 かつて胸をときめかせた異国の電影女星を想い起こす。それは、もはや過ぎ去った世界のあやかしの数々を過去から奪い返すことなのだ。そして、私の老いの横糸、縦糸のひとすじひとすじを解きほぐすことでもある。かつての銀幕の妖精たちは、いまも私の内面に美をもたらしている。
 93歳のシモ−ヌは、私にとっては異界の女、卒塔婆小町ではないか。
 さいわい、私はもはやシモ−ヌを見ることはない。

 アディユ−、シモ−ヌ。

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