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■ クライヴの記憶 |
Date: 2006-05-04 (Thu) |
イギリスの名指揮者、クライヴ・ウェアリングのドキュメントを見た。(BS2/06.4.16)20年前にもおなじ音楽家のドキュメンタリーが作られたが、20年後、夫人デボラの視点からこの音楽家の「現在」を追っている。
これを見た私は、かつて経験したことのない重苦しい感動をおぼえた。
クライヴは若くしてクラシックの指揮者として知られ、BBCで音楽を担当していた音楽家だったが、40代になって、突然、高熱に襲われた。生死のほどもあやぶまれたが、奇跡的に回復した。しかし、その後の彼はすべての記憶を喪失して、現在は7秒の記憶しかなくなっている。
クライヴの場合は、百万人にひとりという奇病で、ヘルペス・ウィルスが脳の記憶をつかさどる部分を冒したため、過去の記憶ばかりか、7秒前のことさえ記憶にとどめられなくなっている。
自分の息子や娘のことも記憶していない。妻だったデボラのことは、どうやらおぼえているのだが、結婚したことも記憶にない。
ドキュメントの撮影者を迎えて、この二十年、はじめての訪問者だとよろこぶ。しかし、7秒後にはそれを忘れて、また、撮影者に、この二十年はじめての訪問者だという。かつて自分が生活していたレティングの邸宅につれて行かれても、まったく思い出さない。
芸術家は、ときには自分では責任がないのにどうしようもない非運にさらされることがある。たとえば、ニジンスキーのように。しかし、クライヴ・ウェアリングほど異様な例はない。
クライヴ・ウェアリングは必死に日記を書く。その内容は、「私はめざめた」という一語につきる。だが、数分後にはその記述を消して、また「私はめざめた」と書く。自分がついさっき、そう書いたことも忘れて。そのくり返しが死ぬまでつづくのである。
自殺したい、と思う。しかし、そう思っても7秒後には忘れてしまう。これほど苦しい人生があるだろうか。
楽譜を見てピアノを弾く。さすがに演奏はみごとなものだった。ピアノを弾く能力は残っているが、自分が何を弾いていたのかおぼえていない。なんという残酷な人生だろう。そういう父親の姿を見て娘は涙ぐみながら父は地獄に生きているという。
天才と狂気についてはよく話題になる。天才たちは周囲の凡俗からあまりに逸脱しているため、しばしば狂気と見られる。だが、「天才」はみずからを周囲から切り離すことでいっそう病的になる、というべきだろう。ゴッホの例もある。彼はおのれの遭遇することにおびやかされ、それを凝視することで苦悩が生じる。しかも、その苦悩が彼の創造の源泉になる場合もある。たとえばベートーヴェンのように。
私はこのドキュメントを見ながら、いいようのない感動をおぼえた。感動というより、動揺したというほうがいい。自分がこういう悲劇に見舞われたらどうだろう、という思いが重なっていたけれど。
彼の指揮を聞く機会はなかった。もしCDでも出ていたら聞いてみたい。
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