ヴァネッサ・パラデイが登場したのは、1988年だった。ファースト・アルバム、「M&J」を出したとき、15歳。
ヴァネッサを聞いたのは、フレンチ・ポップスに関心があったからではない。表題作の「M&J」がマリリン&ジョンの頭文字と知って、興味をもったからだった。
マリリンは口紅をつけながら
ジョンのことを考える
ジョンのことだけを
微笑んで ふと ため息ついて
口にする――歌
悲しみもなく 楽しみもない
二つ三つの――インタヴューのあいだ
スウィングが 心に揺れて
バスタブで・・おバカさんね
マリリンは彼の名を歌っている
ひとりでに心にうかぶ曲にして
星(スター)とライオンの物語
(仮訳)
実際にマリリンの映画を見たことのない世代の女の子が、マリリンを歌っても不思議ではない。マリリンのセクシュアリティーは、フランスでも、女性のリビドーと社会が共有する倫理のあいだに、大きな緊張関係をうみ出していた。60年代のブリジット・バルドー、70年代のソフィー・マルソー、80年代のジェーン・バーキンを思い出して見ればいい。
ヴァネッサは彼女たちにつづく世代だった。
当時、アメリカでは、ティファニー、デビー・ギブスンが登場していた。オーストラリアのカイリー・ミノーグ、台湾のターシー・スーといったティーネイジのシンガーが、ぞくぞくと登場してきた。
私は、香港のシャーリー・ウォンを聞いて以来、アジア・ポップスにのめり込んでいた時期だった。シャーリー・ウォンは、数年後にフェイ・ウォン(王 菲)になる。
1枚のアルバム。それも未決定の未来にようやく歩み出した15歳の少女の、ファースト・アルバム。その最初の曲が「M&J」だったことに、現在の私は感慨をもつ。
たいしたことではないが。
*「マリリン&ジョン」 (ポリドール/88年、93年)