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  アートエッセイ評伝創作エロス

目次

 

マリリン・モンロー

・マリリン・モンロー・オークション
・マリリンの魅力
・マリリン
・「マリリン&ジョン」


ルイ・ジュヴェ

・ルイ・ジュウヴェに関するノオト
・ルイ・ジュヴェ(「夏が好き」より)
・『ルイ・ジュヴェ』という仕事(メチエ)
・補遺
・『タルチュッフ』

 


ルネッサンス

・エロス
・傭兵隊長があらわれたのはなぜ?
・メディチ家が登場したのはなぜ?
・高級娼婦が多かったのはなぜ?
・万能人が輩出したのはなぜ?
・錬金術がさかんになったのはなぜ?
・「モナリザ」の「モデル」は?
・ ミケランジェロはゲイだった?

 

マリリン



 1989年、トマス・エジソンが動く絵(ムーヴィング・ピクチュア)の開発に成功して、はじめて活動写真、つまり映画(ムービー)が登場して以来、無数のスターがスクリーンを彩ってきた。
 映画の影響力は絶大なものだった。それだけに、どこの国でも、社会的な防衛本能から映画の影響をおそれる人たちがいた。
 シカゴでは1907年、ニューヨークでは1909年に映画の検閲が始まっている。当時のニューヨークの検閲機関は、「長すぎるラブ・シーン……ピッタリからだを密着させてのダンス」に眉をひそめた。
「肉体の誇示、犯罪の描写、いやらしい、または暗示的な行為、不当な暴力、劣情を抑制するのではなく喚起するような行為は、道徳の二重標準(タブル・スタンダード)、欲望充足のための安易な手段を恒久化する傾きがある」という理由で検閲を強化している。
 1913年には、53本の映画が上映禁止、401本の作品がその一部を削除されている。私の見たことのない映画ばかりだが、おそらく今の私たちが見れば別にどうといった映画ではないだろう。ただ、私は考える。映画はいつの時代でもこうした社会的な禁遏(きんあつ)と隣りあわせに作られてきたということを。

 映画の影響力の一つはスターという存在によるものだった。スターは作られる。ハリウッドの歴史はそれぞれの時代に君臨したスターの歴史になった。
 同時に、ハリウッドの歴史は、セクシュアルなスターの歴史だった。
 メアリ・ピックフォード、リリアン・ギッシュなどの清純派のスターから、ルイーズ・ブルックスのような「宿命の女」(ファム・ファタル)、クララ・ボウのようなセクシーな女優たち。今ではもう誰の記憶にも残っていないたくさんの美女たち。
 クララ・ボウは「イット女優」と呼ばれた。「イット」は誰でも知っている代名詞だが、二十年代には性的魅力、セックス・アピールという意味で使われた。この「イット」は、あたらしい女性たちの性的な解放と自立の象徴でもあったが、あくまで女の性(セクシュアリティー)、女らしさ(フェミニニティー)を強烈に押し出して、男の関心を惹きつけるための武器でもあった。
 女優が衣裳を脱ぎすてて美しい裸身をさらけ出す一方、できるだけ美しく着飾らせることも必要になる。セシル・B・デミルは、いつも映画のなかで、女優たちにつぎからつぎに美しい衣裳を着させた。彼は女優が豊満な腿や胸もとをちらりとみせる入浴シーンを「発明」した。
「悪女」セダ・バラはスクリーンで美しい脚線美を見せつけ、ベッドに腰をおろして、いとも優美な指先でストッキングを巻きおろしたり、ヒップ・フラスク、あるいはヘビー・ペッティングを見せた。
 マリリンは、こうした女優たちのすべてを体現していた。かつてマリリンがどんなにつよい非難にさらされたか、今となっては想像もつかないほどだが、マリリンをおとしめることで女性の「女らしさ」(セキシネス)を侮辱し、さらに、いじめ、差別、いわれのない優越感にひたった人たちがたくさんいたことも事実なのである。

 マリリンはいまでもすばらしい魅力を見せている。
 日本では未公開だったが、バーバラ・スタンウィック、ロバート・ライアンが主演した「熱い夜の疼き」(フリッツ・ラング監督)のマリリンは、明るい夏の太陽の日ざしを受けて、わかわかしい水着で海辺を走っていた。ほのかに汗ばんだピンク色の素肌が匂いたつような、なめらかで、かたくひきしまった白い肢体は彫刻のような陰影を帯びていた。
 オムニバス「人生模様」で、チャールズ・ロートンのホームレスに声をかけるしがない街娼をやっていた。小さなシークェンスだったが、このマリリンはドキッとするほど美しかった。安香水や、ファンデーション、口紅といった匂いではなく、娼婦の、むせ返るような体臭と、同時に、マフで包んだ手から腕にかけて羞恥をただよわせ、清純な可憐さが輝いていた。
「荒馬と女」のマリリンはいたましいほどやつれていた。肌が異様に荒れて、マリリン自身の内面の荒廃さえ想像させた。ラストシーンに近く、荒れた砂漠のなかで、残酷な男たちにむかって泣き叫ぶ姿は、ぎらぎらする太陽のはげしい直射のように私の眼に灼きついた。
 マリリンは少女時代にいろいろと不幸な経験をしている。女としての不幸も。なにしろ大不況、社会改革、そして戦争の時代だった。このことも注意していいだろう。貧困から這いずりあがってスターになった彼女は、アメリカの「機会と成功」の夢を実現したひとりだった。こうして、マリリンは二十世紀の神話、伝説になった。
 ただし、私はそんなふうに見たことは一度もない。そして、彼女の魅力はセックス・アピールに集中していたわけではない。
 いまさらマリリンについて何を語る必要もないが、私にとって映画のなかのマリリンは、女としてわるびれずに青春を生き、やがてはいやはての人生を生きている。彼女を非難した人々のことばなど、まるでうけつけない姿で。
きみたちも、めいめい自分の青春を思い出してみるといい。青春はなぜか間違いをおかして生きることだが、たちまちのうちに、間違いをおかすことさえできない生きかたに変わってしまうものだ。
めいめい自分の恋愛を考えてみればいい。恋人を好きになったとき、相手の不明瞭な部分に惹かれたり、または明瞭な部分に惹かれたりする。それが恋愛というものだろう。
だからこそ、マリリンは時代を超えて、私たちの「現在」にすばらしい魅力をつたえている。
 このマリリンは、まさにきみたちの「現在」ではないだろうか。

 

 



マリリン・モンロー
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投稿者: Copyright(C) 中田耕治2005 All Rights Reserved 日時: 2007年07月24日 15:11 


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