作家、ユイスマンスは、美術評論家としても一流の眼識をそなえていた。
当時、「踊り子しか描いたことがない」といわれていたドガについて、ドガの描いた人びとは、「店のなかのクリーニング屋の女たち、稽古中の踊り子、カフ・コン(カフェ・コンセール)の女シャンソニエ、劇場のホール、競馬ウマや、ジョッキーたち、アメリカの綿花商人、風呂から出る女、閨房や、芝居の桟敷席」を描いたとする。
ユイスマンスは、「見せ物の女闘士のような上半身のうえに小さな頭が乗っている淑女ぶった女」、ミロのヴィーナスよりも、
通りでいちゃつく娘、外套を着たりドレスでめかし込む女工たち、つやのない顔色、いろっぽい、真珠母のようにきらめく眼をした婦人帽つくりの女たち、腰のうえで、乳房がユサユサ揺れる、こまっちゃくれた鼻の、蒼白く、可愛い遣い走りの小娘たち」
のほうが、ずっと魅力があると見ていた。
ユイスマンスが「こまっちゃくれた鼻」をあげていることに、私は注意する。
私たちは、アナベラ、ダニエル・ダリュー、シモーヌ・シモンから、フランソワーズ・アルヌール、ミレーヌ・ドモンジョまで、フランス女の「こまっちゃくれた鼻」に親しみをおぼえてきたのである。
しかし、現在、私たちは、映画のなかで「こまっちゃくれた鼻」に、それほど魅力をおぼえるだろうか。
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