胚を子宮に移植する。生殖を目的としたクローニングについて、私は単純に考えてきた(私は平凡な作家なのである)。
不妊に悩むカップルが、自分の子を得るためなら、こうしたことも許されるべきだ、と。
しかし、ヒトゲノム解読という科学的な達成の果てに、人間性の否定、ひいては倫理の決定的な崩壊が待ちうけている、とすれば……。
27
のだやま。死語。
花柳界のことばらしいが、語源は知らない。しかし、少年時代に聞いた。
「あいにく、のだやまでね」
さあ、わからない。あとでわかったのだが――すかんぴん、という意味だった。
もっとも、今では、すかんぴんも死語になっている。明治、大正の小説に出てくる。
素寒貧。もとは中国語なのだろう。
26
ねずみ鳴き、といってももう誰も知らない。だいいち、動物のネズミも見なくなった。
好きな男を吸い寄せるという意味で、若い娘や芸者がネズミの鳴き声に似た音を出す。
むろん、誰でもすぐできる。唇をかるくあわせて歯をむすんで息を吸い込む。チュッと音がする。舌打ちとは違う。
ヴェトナム戦争のサイゴンを歩いていたとき、娼婦を売りつけようとした子どもが、ねずみ鳴きをしたのでおどろいた。
25
昔の作家はきびしい検閲のせいで、ぬればを描くことができなかった。だから、よく読むと、いろいろと工夫している。
今は何でも自由に書けるけれど、ぬればを描くのは、ほんとうはむずかしい。
そういえば、ぬれ幕ということばも、もう死語になっている。
24
「忍者アメリカを行く」。
ああいう小説はアイディアだけが勝負で、「忍者」と「アメリカ」、まるで異質のものを強引につないでしまう。
アメリカに旅行しなかったら、ああいう小説は書けなかったかも知れない。いろいろな小説や映画をパロディーした。いろいろな小説を読み、いろいろな映画を見ていなかったら、書けなかったかも知れない。
23
中村真一郎は、戦後『死の影の下に』(1948年)で登場した。その出版記念会があって、無名の私も出席したが、先輩批評家の中村光夫が、席上、辛辣ないいかたで挨拶した。
「中村(真一郎)君は、この作品を発表せず筺底にとどめておくべきだった」と。
私はこれを聞いたときから、中村光夫をひそかに軽蔑するようになった。
22
どれほど多くのヒロインたちにめぐりあってきたことか。
「ナターシャ」や「ソーニャ」、「エマ」や「ジャンヌ」たち。彼女たちとめぐりあうことがなかったら私の人生はどうなっていたか。彼女たちひとりひとりは、私の想像のなかで現実の女たちよりも、もっとさまざまな肢体を見せてくれた「恋人たち」だった。
21
テネシー・ウィリアムズの芝居を訳したことがある。それも一幕ものばかり。多幕ものを訳す機会はなかった。
訳しながら演出してみたいと思った。実際に演出したが、気に入ったものは、いろいろな劇団で何度も演出した。そのたびに「発見」があった。
いまはもう、芝居を訳す機会もなくなっている。残念だが。
20
つまらない本を読んで、ああ、つまらなかった、と思う。これが私の趣味である。
すばらしい本を読んで、すばらしいと思うのは誰だっておなじことだ。なんというつまらない読書だろう。
19
駐日大使だったクローデルは、関東大震災を体験している。逗子にいたお嬢さんを救い出すために六郷川まで行ったが、罹災者の流れ、劫火に見舞われる。その間に大使館は焼亡した。
だが、大使館員たちは大使の身のまわりのものを必死にもち出した。大礼服と勲章も。
だが、誰ひとり彼の原稿を助け出さなかった。
これが「繻子と靴」の第三幕だった。
18
「たけくらべ」のなかに、吉原の年中行事をあげて――
「秋の新仁和賀には十分間に車の飛ぶこと、この通りのみにて七十五輌と数へしも……」
とある。車は、むろん腕車(人力車)だが、仁和賀は、八月十五日にて届けて、九月一日に開演した。千秋楽まで、晴天三十日間。
残念ながら、私は見たこともない。今なら車が十分間にどれくらい通るだろうか。
17
空が不意に暗くなり、いつの間にか黒い雲がひろがり重なって、あたりを覆いつくしていた。風までがにわかにざわめきだして、あたりは不意に夜になった。凍りつくような寒さ。
木々のしげみは暗い影になった。
「早く下りよう」
私は前を歩いているパートナーに声をかけた。彼女はふり返りもせずに歩いていた。
16
仙台市内の中ほどを、帯のように白く光って広瀬川が流れている。私はこの川が好きだった。
遠く山肌を削り、土砂をはこび、いくたびか流れを変え、かつての青葉城下を流れて、やがて海にそそぐ。
少年の私は、川の砂州に立って、ぼんやりと水面を見ている。あたりの木や草が、せせらぎとなってささやきかけてくる。
15
スリフト・ストア・アート。
古道具屋の片隅にころがっているへたくそな絵。こういう絵を買うのが趣味で、コレクターもいるとか。ただし、一点25ドル以下にかぎる。いい趣味だなあ。
へたくそなアートほど保存すべきだと考えるから。私のところにもへたくそな絵がいっぱい。自分で描いているのだから間違いない。
14
ジェルジンスキーの銅像を再建しようという決議が、今年のモスクワ市議会に提出された。
スターリン支配の恐怖政治をささえた秘密警察の創設者だが、1991年8月、この銅像は撤去された。銅像は巨大なクレーンで宙吊りにされ、うつ伏せになって地面に落ちた。市民たちが歓声をあげて足蹴にしていた。
恐怖の支配体制によってしか、自由も独立も保証されない国にきみたちは戻れるだろうか。
13
サイゴン。マジェスティックからレ・ロイにかけての夜には女たちの嬌声。
前線から戻ってくるジープ。眼ばかりぎらぎらさせて、血に餓えた狼たち。
相手をするのは、どぎつい娼婦ばかりではない。上品で、優しくて、あくどさがなく、つつましいヴェトナム娘たち。戦争の影に、それぞれが必死に生きるために、GIたちに身を委ねる女たち……。
12
公教育の荒廃は、子どもたちの学力低下をもたらした。「ゆとり教育」を唱えた連中の責任は重い。ところで私は思い出す。
「もっとも美しく、もっとも自由であるべき生涯の一時期を、徹底的におもしろくないものにした、あの単調で、無慈悲で、活気のない学校生活で、ただの一度たりとも愉快だったとか、幸福だったことは思い出せない」という作家。
ステファン・ツヴァイクを。
11
結婚したことを一日でも後悔しなかったカップルがいるだろうか。
結婚をめぐっての悲劇は多い。むしろ、喜劇と思ったほうがいい。笑えるだけ楽しい。
10
苦言にもいろいろある。
ミッシェル・レリスはいう。「ほんとうの意味で、真摯で赤裸々な日記は、語るべきできごとについて取捨選択のあとをとどめてはならない」と。
よくいうよ。語ることrelaterは、偏送?するfrelaterと知っていながら、こういうのだから。冗談、キツいなあ。
9
恐龍は考えたかも知れない。
おれたちは荒野を走りまわっているが、どこに行っても、ありとあらゆる恐龍たちの利害がもつれあっている。トリケラトプスは、プシッタコザウルスと睨みあっているし、ステゴザウルスはディノザウルスと死闘をつづけている。お互いの複雑な関係、情況のはげしい推移、そして、種の死滅という因子は……。