8

今日という日は、昨日という日をほとんど想像もできないものにしてしまう。
どうかすると、まるっきり滑稽なものにしてしまうこともある。
ヴァレリーのことば。
夜になったら、笑うことにしよう。

7

牛鍋(ぎゅうなべ)について調べたことがある。
明治30年頃の東京には、西洋料理の店、つまりレストランは40程度。一般大衆とは無縁だった。浅草には日本料理の店が集まって、牛鍋屋は東京全市の11パーセント。
ハイカラさんも浅草に通った。
下町そだちの私は明治のなごりをしのばせる牛鍋を食べていた。その時がなつかしい。

牛鍋ものがたり

6

彼女。
おもちゃ屋さんにつれて行かれて、どれでもいいお人形をあげるといわれたとき、可愛らしい唇をかるく開いて、眼はかがやき、ドレニシヨウカナ、と心をきめかねて、お人形さんの前に立ちつくす女の子。
マリリン・モンロー。

マリリン・モンロー

5

女について。たいていの男はのぼせあがる。
「私たちの女性にたいするギャラントリは、ほかのいかなる国の何ものにも較べることができない」
とモーパッサンはいった。
よくもぬかしやがったな。

4

江戸の女……。
音もなく襖が開くと、敷居ぎわに中腰にかがんで、眼もあやな女があらわれる。
思わずゴクリと生唾をのむ客の前に、すっと両膝をついて、三ツ指。ぬめぬめと濡れたようなつぶし島田の頭をさげて……。
子どもの頃、私の住んでいた本所、小梅町に、そんな「江戸の女」がまだ生きていた。

3

うわさ。
私は他人の噂をしない。わるい噂を聞いても、自分のところでとどめておく。めずらしい噂はしっかり記憶しておくが、小説に書くこともない。
わるい噂は、いくらでも尾ひれがついてひろがってゆく。おもしろい。だが、おもしろいから書かない。おもしろくないからだ。

2

イザベル・アジャーニの「カミーユ」や「アデルの恋の物語」。はげしい狂気に憑かれた愛の傷み。
私は「巴里祭」のアナベラが好きだが、ヒロインとしては「地の果てを行く」の「アイシャ」をあげよう。異国の女のはげしい愛の姿を見せてくれたから。

1

愛されて、ただひたすらに燃えつきる。

愛することは、暗い夜をわずかに照らすともしびのあえかな光。

だが、その光もいつかはかなく消えてしまう。

いつか消えてしまう予感。だが、わずかな風のそよぎにも、ともしびのゆらぎはつづく。

それが、愛。