48

愛すること。
いつか私は書いたのだった。ひとはときとして愛するひとのなかに永遠をもとめる、と(「フリッツィ・シェッフ」)。
愛はある情緒(エモーシォン・パルティキュリエール)のなかに永遠をかいま見ることにほかならない。たまゆらの、いのちのきわみ。だから、恋人たちが、自分たちの愛こそいつまでもつづくと、心のどこかで信じたとしても無理からぬことだろう。
たとえ一瞬であっても。
たとえ、私たちが、ロミオやジュリエットではないし、パオロやフランチェスカではないにしても。

47

運が悪い。そう思ったときは、心のなかでつぶやく。
希望。希望こそ、心のなぐさめ。
モリエール、『人間嫌い』、第一幕第二場、オロントがアルセストに読んで聞かせるへたな詩の一節。
何の役にも立たないし、なんのなぐさめにもならないが……。

46

私はほとんど考えない。
自分が何なのか。何であったか。何であり得るのか、などと。

私は何者かであろうとしたことがない。何者でもないのだから。

45

ロダンは晩年、水彩でおびただしいヌードを描いた。これが凄い。女たちのあられもない肢体をまっすぐに見据えて、あやまたず女の本質をとらえている。
しかも、どんなにエロティックに描いても、ロダンの誠実さによって、けっしていやらしくない。
ロダンの彫刻とは違った魅力がある。

44

 「レンガ」という喫茶店。「戦後」、有楽町、駅から歩いて三十秒ほどの距離。
名前は――明治5年、銀座に日本最初の煉瓦建築ができたことに因んだものか。
私がここを根城にしてから――まだ無名の頃の、常盤新平や、学生だった北方謙三たちも顔を見せるようになった。
コーヒー一杯でねばって、原書を一冊読みあげたこともある。

43

ルイ・ジュヴェから、いろいろなことを学んだと思う。
はじめから、何もかもじつに困難なのだ、と考える。舞台に立つ。困難だからこそ、一瞬一瞬、自分にとって、未経験で、予想もつかない「動き」を――観客の眼には、いともやすやすとやってみせること。

→ルイ・ジュヴェ

42

林青霞が好きだった。かつての香港電影を代表するスター、ブリジット・リン。
宝塚の男役スターのような美貌。なよなよした女はやらない。
はじめて見たのは「白髪魔女傳」だが、白髪で羅刹のような魔女。「重慶森林」では、ハードボイルドな悪女。「北京オペラブルース」では、軍閥の将軍の令嬢で、革命派の闘士。
しびれた。

41

落語に出てくる幇間(たいこもち)は、たいてい客にいじめられる。
たいこもちの心得に、
一に大尽大切に。二に賑わいに取はやし。三に酒盛、四に始末。
これが十カ条並んでいる。
五ツ目は――知ってはいたのだが、もう忘れた。

40

 吉沢正英と会う。いつも新宿駅のプラットフォームで。階段の下と、きめていた。
ふたりで空を見る。お互いに黙って。
行先は秩父にするか、奥多摩にするか、丹沢か。会ってからきめるのだった。
数年、いつもいっしょに山に登った。
「日経」文化部の記者だった彼が亡くなって以来、一度も山に登っていない。

 

→ 後姿の「あいつ」

39

夢野久作の日記。二十代の若者が、俳句を作ったり、英文で書いている。なぜか、狂気の翳りがさしていたりする。
私は、最近になっていろいろな夢を見るようになった。もっとも、最近の自分の日常生活を考えると、いやな夢でも見ているような気がする。
年をとったせいだろうか。

38

山に登っていた。といっても、月に、二、三度だからたいした経験ではない。
有名な山には登らない。誰も知らないような山、あまり登山者の行かない山ばかり選んでいた。夏のアルプス銀座といったコースが嫌いだった。
誰もたいして価値を認めない経験。しかし、楽しかった。だから、私にとってかけがえのない経験になった。

37

モンテーニュを読む。
若い頃はこの人に関心がなかったが、今頃になって、少しだけわかるような気がする。
なぜ、モンテーニュに関心がなかったか。簡単に答えられる。無知だったから。
では、今になって、なぜモンテーニュに心を動かされるのか。モンテーニュが少しでも理解できる可能性は以前から存在していたのか。萌芽と

36

メリーヌ首相は、議会でいった。
「ドレフュス事件なるものは存在しない」と。1897年である。
当時、ピカール大佐は投獄され、ドレフュス再審を望む人びとは窮地に立たされた。
今の日本にも、メリーヌは生きている。私は新聞やテレビを見ながら、ああ、きみはメリーヌ君じゃないか、と声をかけてやる。

35

夢中になっていた時期がある。
映画監督や女優の場合は、作家や詩人と違って、どこの部分に才能の成熟が見られる、といった指摘はできないが――おなじ監督や、女優の出た映画を追いかけていると、円熟が感じられたり、才能の衰えが感じられてくる。
「初恋」から「冬のソナタ」をへて、「誰にでも秘密がある」のチェ・ジウは――

34

ミモザ。南フランス。マルセイユからサント・ヴィクトワール山にむかう途中、黄色い花の林がどこまでもつづく。見たことのない風景だった。
マルセイユでは、ロマの浮浪児がミモザの一房を通行人に売りつけようとしていた。私はミモザを買った。だまされていると承知して。
いま、私の庭に、ミモザが二本植えてある。

33

マリリン・モンローは、二十世紀の、もっともグラマラスな女優という。ファンにとって、マリリンが「映画」だった。
私のマリリンは、いつも不安そうで、明るくて、舌ったるいセリフをいいながら――悲しそうで、それでも、わるびれずに生きてきた「女」だった。
マリリンをグラマラスな女と見たことは一度もない。

→マリリン・モンロー

32

本所、小梅に住んでいた。
その界隈は、どこか江戸の情調が残っていた。すぐ近くに、幼い頃の堀辰雄が住んでいた家があったり、三囲神社、言問橋が眼と鼻のさき。
隣りに朝鮮人の家族が住んでいて、いつも美少女の姉妹を見ていた。太平洋戦争がはじまってその姉妹の一家は引き揚げて行った。
美少女たちのおもかげだけが残った。

→「若き日の回想」

31

 ヘミングウェイに敬意をもっていた。たいていの作家に驚かなくなったのは、ヘミングウェイを知ったからだった。
ヘミングウェイに対する敬意は変わらない。しかし、今ではヘミングウェイにさえ驚かなくなっている。
世をうきものと思い入りたりければ。

30

故郷は遠きにありて思ふもの。
犀星はいう。私は、こういう犀星が羨ましくなる。私は、故郷がない、というか、遠くにありて思ったことがない。
故郷喪失の思いはあるのだが。

29

日の門から風が吹く
さびしい心の人に風が吹く
さびしい人の心が枯れる

イエーツの「心のゆくところ」の新妻が聞く妖精のうた。松村みね子訳。
私は、松村みね子訳に敬意をもってきたひとり。