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2017/04/21

中田耕治先生のインタビューが収録された、宮岡秀行監督の映画が、「微塵光(みじんこう)――原民喜」としてついに完成しました。5月7日に、第1回両国シネマ天丼2017にて、記念上映会がおこなわれます。終映後には、詩人の野木京子さんが対談と朗読に登場!詳細は左のチラシと、こちら 両国シネマ天丼2017(総合ページ)でご覧ください。

2016/06/03
宮岡秀行監督による映画『裏・原民喜』に、中田耕治先生のインタビューが収録されました。 (この作品は、原民喜没後65年記念として三月に広島で一度上映され、 ワーク・イン・プログレスとして更なるヴァージョンアップが計画されています。)  その撮影にまつわるエピソードなどについて、詩人の野木京子さんが、 「三田文学」2016年春季号にエッセイを寄稿されています。

2015.7.10
・講談社「FRaU」8月号で発表された「第三回フラウ文芸大賞」にて、 クリスティナ・ベイカー・クライン著『孤児列車』(田栗美奈子・訳)が 準大賞を受賞しました。テーマは「女性が女性に向けて読んでもらいたい本」。そこでまさにぴったり「女性の好きな女流作家」山口路子さんより、ご紹介コメントいただきました。

 

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 中田 耕治 訳 / オノト・ワタンナ 著
若き日の永井荷風も読んだ、アメリカン・ジャポニズムの女流作家オノト・ワタンナの小説が、中田流翻訳で現代によみがえる!


 

中田耕治ドットコム とは

作家・批評家・翻訳家として、多彩な活動を続けてこられた中田耕治先生の「今」を
お伝えするサイトです。
パソコンとは無縁の師匠に代わり、有志数名が運営しています。

 

中田耕治 (なかだこうじ)とは
中田耕治

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中田耕治を語る
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作家。1927年、東京に生まれる。
戦後、最年少の批評家として文壇に登場し、『ショパン論』『ゴーゴリ論』などがある。
演劇の演出家としては、「闘牛」(3幕)の演出が代表作。作家として『危険な女』、『異聞猿飛佐助』ほか。評伝『ルクレツィア・ボルジア』、『メディチ家の人びと』、『ブランヴィリエ侯爵夫人』など。また、近作に『ルイ・ジュヴェとその時代』がある。翻訳家としては、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーなど多数。編・訳も多く、近作に『スコット・フィッツジェラルド作品集』、『アナイス・ニン作品集』がある。

中田耕治執筆本
絶賛発売中

中田耕治共著

 

最新過去ログ   
2017/05/22(Mon)  1716
 
 澁澤さんのエッセイから、一昔前の万世橋、昌平橋界隈を思い出した。
 もう誰も知らない昔話。

 このあたり、昔はスジカエと呼ばれていた。筋違と書く。江戸っ子のまき舌では、スジカイになる。筋違橋(スジカイはし)、筋違御門(スジカエごもん)のあった土地で、このあたりは神田見附。原っパが広がっていて、八小路原(ハチこうじはら)、八辻の原(ヤツつじのハラ)と呼ばれていた。
 すぐ先に須田町、秋葉原(あきバッパラ)がひろがっている。

 今は、もう秋葉原(あきはばら)の電気街、あるいは、AV、ポルノ専門のビルなどが建っている。

 昔は、ここを起点にして、日本橋、内神田、小川町、柳原土手、外神田、下谷、湯島、本郷など、それぞれに道が通じていた。おそらく、徳川政権の戦略上の要衝だったと思われる。
 こんな川柳がある。

     須田町で見れば なるほど筋違(スジカイ)だ

     筋違(スジカエ)を出ると左に 直ぐな道


 それぞれの道が、筋違橋に対して斜めにむすばれていたので、スジカイと呼ばれたらしい。今でも、地下鉄の「お茶の水」まで、ゆるやかな坂になっているが、壕割りの南側(これも名前が消えてしまったが、江戸では紅梅町という)には忍者屋敷が連なっていた。

 ただし、後ろの句には別な含意があるので、注意しよう。

 神田川から昌平橋か筋違御門を通ればすぐに八辻ノ原だが、この界隈は盛り場で、酒や料理を出す茶店、屋台が並んでいた。当然、辻講釈、祭文語り、砂絵といった大道芸人が集まるし、今のAKB48の遠い先祖のような綺麗どころがしゃなりしゃなりと歩いていた。うっかり読むと気がつかないが――「左にまっ直ぐな道」は、かなり意味シンなのである。

 明治6年、筋違御門の石垣を利用して、あたらしい橋がかけられた。これは、明治天皇の東京(当時は、トウケイと発音されたらしい)遷都後の世情安泰を願って、万代(ヨロズヨ)橋と命名された。
 万世橋とかわったのは、天皇を「万世一系」とする国民感情と無縁ではない。

 この橋は、石のア−チが二つつながっていた。片方が「太鼓橋」、もう片方が「メガネ橋」と呼ばれた。
 明治39年に、神田川の上流に鉄橋がかけられて、石橋は姿を消す。昌平橋は、明治6年の洪水で流失し、この39年にようやく再建された。

 おかしな話だが、私は中学生のときから「戦後」にかけてほとんどを神田で過ごしてきた。それこそ古代史の化石のような人間なので、このあたりのたたずまいはまだ記憶にとどめている。
 JRのお茶の水駅の東口、昌平橋から、神田川にかかる地下鉄の線路を見下ろすと、もう誰も知らない江戸の風景がわずかに見えてくるような気がするのだった。

    寒月や 我ひとり行く 橋の音   太 祇

          (私の歳時記・6)

  

 

<中田耕治先生文学講座終了のお知らせ>2011.12.10

koji7年間にわたって続けられてきた「中田耕治文学講座」は、このたび無事終了させていただきました。

最終講義には新旧の受講生が多数集まり、心地よい緊張感のなかで、パワーみなぎる中田先生の熱い講義に酔いしれました。

これまでご参加いただいた皆様に、心よりお礼を申し上げます。

中田先生の刺激的なお話をまだまだ聴きたいと、閉講を惜しむ声が多いため、来年からは「補講」をおこなう方向で検討中です。
どうぞお楽しみに。

全77回の講座各回のテーマは、こちら中田耕治文学講座リストでご覧いただけます。

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イラスト 中田耕治

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