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中田耕治ドットコム
 とは

作家・批評家・翻訳家として、多彩な活動を続けてこられた中田耕治先生の「今」を
お伝えするサイトです。
パソコンとは無縁の師匠に代わり、有志数名が運営しています。

 

中田耕治 (なかだこうじ)とは
中田耕治

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中田耕治を語る
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2020/3/23

「映画論叢」53号 (2020315日発行)に中田耕治先生の最新作「スター〜芸術家たち」が掲載されました。映画スターたちの描いた美術作品を通して、そのスター自身の人生に迫る力作です。 貴重な図版の数々も必見。ぜひお読みください。


2020/02/06
作家・山口路子さんがオードリー・ヘップバーンへの思いを語る記事が、「朝日新聞」に掲載されました。 こちらからご覧いただけます。

  絶賛発売中
『オードリー・ヘップバーンの言葉』


2019/07/01
 
「映画論叢」51 (2019/7/12発売)
「サロメ」を演じた女優たちの運命を描く、中田耕治渾身の作品掲載。


2017/09/11

アナイス・ニンのドキュメンタリー「アナイス・ニン、自己を語る」のDVDが発売になりました。晩年になってなお美しくたおやかなアナイスの姿、声、作家としての暮らしぶり、かつての恋人ヘンリー・ミラーとの語らいなど、貴重な映像が詰まった、唯一のドキュメンタリーです。アナイスを日本に紹介した中田耕治先生の貴重なロング・インタビューも収録されています。 また、アナイスと親しかった杉崎和子先生のインタビューと、この企画実現のために情熱をかたむけた作家・山口路子さん執筆のブックレットもついています。

 DVD発売に至るまでの経緯などについては、山口路子さんのアナイス愛がつづられたブログをぜひご覧ください。
アナイスについて中田先生の手紙
アナイスについて杉崎和子先生への手紙
中田耕治先生インタビューと命の言葉
アナイスのように(DVD発売)


2017/04/21
中田耕治先生のインタビューが収録された、宮岡秀行監督の映画が、「微塵光(みじんこう)――原民喜」としてついに完成しました。


2016/06/03
宮岡秀行監督による映画『裏・原民喜』に、中田耕治先生のインタビューが収録されました。


2015.7.10
講談社「第三回フラウ文芸大賞」準大賞を田栗美奈子さんが受賞しました
。 山口路子さんより、コメントいただきました。

前の記事を読む↓

 

作家。1927年、東京に生まれる。
戦後、最年少の批評家として文壇に登場し、『ショパン論』『ゴーゴリ論』などがある。
演劇の演出家としては、「闘牛」(3幕)の演出が代表作。作家として『危険な女』、『異聞猿飛佐助』ほか。評伝『ルクレツィア・ボルジア』、『メディチ家の人びと』、『ブランヴィリエ侯爵夫人』など。また、近作に『ルイ・ジュヴェとその時代』がある。翻訳家としては、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーなど多数。編・訳も多く、近作に『スコット・フィッツジェラルド作品集』、『アナイス・ニン作品集』がある。

中田耕治執筆本
絶賛発売中

中田耕治共著

 

最新過去ログ   
2021/12/25(Fri)  1886 マルセル・マルソー 3
 
 私はすぐに教室にもどった。学生に本日の授業は中止して、フランスのマルセル・マルソーという役者の公演を「見学」に行く。希望者はこれから私といっしょにすぐに劇場にむかうこと。
 学生たちのなかには、そのまま帰ってしまったものもいた。
 こうして、私たちはゾロゾロそろって校外に出た。駿河台下から丸の内まで、歩いてもたいした距離ではない。まるで、小学校生徒の遠足のようにうきうきした気分で歩いて行った。

 予想した通り、劇場は――多目的ホールといった程度で、小規模のピアノ・リサイタル、あるいは、小編成の管弦楽団の公演などに使われる規模のものだった。

 キャパシティーは300。観客席はやっと三分の一程度、閑散とした雰囲気だった。

こんな小さなコヤも埋まらないのか。
 私たちが席についてから、しばらくして、女子大生らしい集団がやってきた。おそらく主催者側が、急遽、手配をしたらしい。劇場に華やかな雰囲気がひろがってきた。
 この劇場に近い大学、たとえば、共立女子大、文化学院あたりの教務課に連絡したものだろうと私は想像した。劇場は、開演5分前にほとんど埋まった。

 こうして、マルセル・マルソーを見たのだった。

 イタリア中世のコメディア・デッラルテ以来の伝統芸を身につけた創造的なマイム、ミミックリーだった。この日の私は、スタンダップ・コメディアンではなく、俳優のマイムという肉体表現がどれほど創造的であるかを見届けた。それは、まさにテアトラリザシォンの基本ともいうべきものだった。

 どちらが優れているか、という技術上の問題はさておいて、ジャン・ルイ・バローが、夫人、マドレーヌ・ルノーと、一緒に舞台の名優として知られているのに対して、マルセル・マルソーは、いつも単身、ひたすらマイムだけで、人間の残酷さ、冷たさ、おかしさ、笑いを描きだす。

 私はそれまで一度も見たことのない「芸」を見たのだった。

 チャプリンと、バローの、中間に立っている。フランスのエスプリ。
 チャーリーのようにすばらしい喜劇役者のもつ動きと、熱、すばやい反射作用、躍動するトーン。そのなかに、対象とする「ダビデ」と「ゴリアテ」のコントラスト。
 私は、その一つひとつに笑いながら、マルセル・マルソーが、笑っているわたくしたちに対する適度なシニスムを感じたのだった。マイムを演じることは、一瞬々々に、その瞬間の自分自身を発見すること。

 現在の大型サーフボードほどのボード1枚を立てるだけで、右に「ゴリアテ」、左に「ダビデ」。そのボードに身を隠す。つぎの一瞬に「ダビデ」と「ゴリアテ」が、マルソーの内部において置換する。まるで、吉原の幇間が見せる「芸」のようだ。

 しかも、マルソーの内部には、多数の登場人物がいる。
 カロの描く絵の女たち、クリシーやその近郊のパリ・ミュゼット。犬を散歩させるブルジョアの奥さん。カーパと短剣で牛に立ち向かってゆく闘牛士。

 私は、それまで一度も見たことのない「芸」を見たのだった。サイレント映画とおなじようにことばはない。しかし、まったく無言(ムエット)なのに、その「芸」は、はるかに雄弁だった。
 私は、マルセル・マルソーのマイムに感動した。  

 舞台が終わって、カーテンコールがつづく。
 マルソーは、声を出すことはない。しかし、アンコールもマイムで――東京での初日が成功に終わったことに、心からの感謝を表現していた。

 
観客は心からマルセル・マルソーに称賛の拍手を送った。マルセル・マルソー自身も、東京の初日が想像以上の成功裡に終わったことに感激していたと思う。何度も何度も、拍手にうながされて、最後には満面の笑顔で舞台ハナに出てきて、即興のマイムで観客に挨拶を送った。

 おそらくマルセル・マルソーは、東京の初日、無料で招待された観客がほとんどだったことは知らなかったに違いない。むろん、これは私の推量、忖度(そんたく)にすぎないが、主催者側は、前売りのチケットが売れず、思わぬ不入りをマルセル・マルソーに知られまいとして、いわばラスト・リゾートとして、劇場にちかい距離の大学をさがして、観客をかき集めるという苦肉の策に出たものだろう。

 当然、このことはマルセル・マルソーにも伏せたのではないかと思う。

 後年、ブロードウェイで毎晩のように芝居を見たが、しばしば劇場の前でティケットを売っている若い男女をみかけた。「フリンジ」(オフ・ブロードウェイ)の芝居で、自分たちも舞台に出ている役者たちだったのだろう。
 そういう光景を見たとき、私はマルセル・マルソーの東京初日を思い出した。

 その後のマルセル・マルソーは、日本でもひろく知られるようになって、二・三度、東京で公演している。私はチケットを買って見に行った。このときのマルセル・マルソーは、世界的に有名なマイム役者になっていた。いつも満員で、劇場が観客を無料で動員することもなかったはずである。

 マルセル・マルソーの東京初演のことなど、このブログで書かないほうがいいと思った。しかし、こうして書いておけば、「戦後」の私たちのフランス演劇に対する無知がいくらかでも想像できるかも知れない。
 私たちの「戦後」にこんな風景があったことも。

  

 

<中田耕治先生文学講座終了のお知らせ>2011.12.10

koji7年間にわたって続けられてきた「中田耕治文学講座」は、このたび無事終了させていただきました。

最終講義には新旧の受講生が多数集まり、心地よい緊張感のなかで、パワーみなぎる中田先生の熱い講義に酔いしれました。

これまでご参加いただいた皆様に、心よりお礼を申し上げます。

中田先生の刺激的なお話をまだまだ聴きたいと、閉講を惜しむ声が多いため、来年からは「補講」をおこなう方向で検討中です。
どうぞお楽しみに。

全77回の講座各回のテーマは、こちら中田耕治文学講座リストでご覧いただけます。

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