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中田耕治ドットコム とは

作家・批評家・翻訳家として、多彩な活動を続けてこられた中田耕治先生の「今」を
お伝えするサイトです。
パソコンとは無縁の師匠に代わり、有志数名が運営しています。

中田耕治 (なかだこうじ)とは
中田耕治

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中田耕治を語る
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作家。1927年、東京に生まれる。
戦後、最年少の批評家として文壇に登場し、『ショパン論』『ゴーゴリ論』などがある。
演劇の演出家としては、「闘牛」(3幕)の演出が代表作。作家として『危険な女』、『異聞猿飛佐助』ほか。評伝『ルクレツィア・ボルジア』、『メディチ家の人びと』、『ブランヴィリエ侯爵夫人』など。また、近作に『ルイ・ジュヴェとその時代』がある。翻訳家としては、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーなど多数。編・訳も多く、近作に『スコット・フィッツジェラルド作品集』、『アナイス・ニン作品集』がある。

中田耕治執筆本
絶賛発売中

中田耕治共著

中田 耕治 訳 / オノト・ワタンナ 著
若き日の永井荷風も読んだ、アメリカン・ジャポニズムの女流作家オノト・ワタンナの小説が、中田流翻訳で現代によみがえる!

 

 


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2018/09/24(Mon)  1778 〈1977年日記 25〉
 
                 77年7月5日(火)

 清水 徹君の「読書のユ−トピア」を読んでいるところに、「どこにもない都市 どこにもない書物」が届いた。
 ある時代の批評家は、それぞれの立場、理解力は異なっても、その時代の共同研究者といっていい。清水君は頭のいい批評家で、つぎつぎにいい仕事をしている。この本からもいろいろと学んだ。
 現在の作家のものをあまり読まないので、清水君の本からいろいろと教えられたが――現代作家とつきあうのもたいへんだな、という気がした。

 和田 芳恵さんから挨拶が届いた。肺気腫になられたという。

 これからも、いいお仕事をなさるようにと心から願わずにいられない。

 大学に行く。まだ咳が出るので、途中で咳き込まないように何度も息をとめたりする。
 講義を終えて、Y.T.、下沢と、かるい食事。
 下沢は、私とY.T.に気をくばって、あまり話をしない。


                 77年7月6日(水)

 杉崎 和子女史から電話。
 「デルタ・オヴ・ヴィ−ナス」に関して、ルパ−ト・ポ−ルから連絡があったという。
 エ−ジェントのガンサ−・スタ−ルマンの要請で――ロイヤリティ−・スケジュ−ルを明記すること。サブサイダリ−・ライツに関して、ロイヤリティ−を設定すること。
 その他。
 ガンサ−は、アナイスの「日記」の翻訳権をとった「河出書房」の契約が切れているので、日本で全巻出してほしい、といってきた。つまり、あくまで「実業之日本」で出せ、という意味だった。これは困った。どうしても無理だと思う。

 アナイスの「日記」の翻訳は、すでに原 真佐子訳が出ている。(これは、私にもいささかの責任がある。私は多忙だったため、「日記」の翻訳に手をつけなかった。それを知った原 真佐子が私に電話をかけてきて、自分が翻訳したいといってきた。残念ながら、この本はろくに売れなかった。)
 現在、あらためて全巻(6冊)を出せといわれても、「実業之日本」にそんな力はない。私は、ガンサ−・スタ−ルマンが、日本の出版界の実情を知らなさすぎる、と思った。「実業之日本」としても、まず、売れるものを出してから、アナイス・ニンを出したいと思うだろう。
 私としては、ぜひにもアナイスを出したい。しかし、「実業之日本」にもちかけても、峰島さんはひるむだろう。

 ルパ−トのアドレス。
  22×× Hidalgo Ave.,Los Angeles,90035


                77年7月7日(木)

 午前中、「沖田 総司」を書いていて、「ザ・ディ−プ」(ピ−タ−・イエ−ツ監督)の試写に行けなかった。ジャクリ−ン・ビセットが出ているのに。
 1時、「ジャ−マン・ベ−カリ−」で、渡辺君に原稿をわたす。「二見書房」、長谷川君に校正をわたしたが、「三笠書房」の三谷君には原稿をわたせなかった。申し訳ない。

 2時、「実業之日本」、峰島さんに会う。
 アナイスの件。ロイヤリティ−は、契約時に1500ドル。出版時に1500ドル。1万部以上〜3万部までの部数に対して500ドルの追加。サブサイダリ−・ロイヤリティ−に関しては、白紙。アナイスの「日記」出版に関しては考慮するが、目下は、「デルタ」が成功するかどうかにかかっている。
 ガンサ−・スタ−ルマンに対しては、こういう返事を送ることにした。私はアナイスのエ−ジェントではないので、今後、交渉が長引いたり、むずかしいことになるようだったら、「河出」の竹田 博さんに、ガンサ−・スタ−ルマンとの交渉を依頼しようか、と考えている。(これには理由があるのだが、ここには書かない。)
 峰島さんに対して、私は――「実業之日本」のために、ミステリ−を選んで、翻訳すると確約した。原作がきまったら、すぐに翻訳にかかる予定。スケジュ−ルはキツいが、「実業之日本」のシリ−ズのトップ・バッタ−は、私以外にはいないだろうから。

 6時半、蒲田。古本屋を歩いていて、ポ−リナ・ス−スロヴァの「日記」を見つけた。一瞬、ドキッとした。まさか、こんなところに、ドストエフスキ−の恋人の「日記」がころがっているとは思わなかった。血圧が高くなっているのがわかる。教室に向かう途中、不意にカミナリが鳴って、はげしい雨が降ってきた。みんなが、走ったり、逃げまどっている。本が濡れないようにしっかり抱えて、雨にうたれながら、区役所(教室か?)に入った。ただもう、ポ−リナ・ス−スロヴァのことばかり考えて。
 教室にいた受講生は、12,3人。

 私は、パリに行ったドストエフスキ−が、ポ−リナと落ち合った状況をマクラにフッてから、今学期最後の講義に入った。昂奮した気分を抑えた。講義はうまくいった、と思う。

 変なことを思い出した。
 ニュ−ヨ−クに行ったとき、シャツを数枚買った。私の買った安い衣料は、全部が、韓国製やインド製だった。どこに行っても、Made in Japan は見当たらなかった。どうやら、安い衣料の部門では、日本の生産は駆逐されている。そのとき、日本の輸出は、車や電子機器の分野で大きく伸びているが、他の分野では敗退を余儀なくされている。
 当時の私は、この現象をどう見てよいのかわからなかった。ただ驚いた。

 この日記に、どうしてこんなことを書いておくのか、自分でも説明がつかないのだが。