インタビュー

中田 耕治 

 これからいくつかの質問をしますから、正直に答えてください。

 ――いやだけれど、仕方がない。どうぞ。

1 先生は早起きと聞いています。睡眠時間はどのくらいですか。

 ――朝はかなり早く起きてしまう。だいたい、五時には眼がさめる。どういうものか眼がさめる。老人になったせいだろう。若い頃は二秒後には、もとの状態に戻った。最近は、眼がさめてからぐずぐずしている。こんなに早く起きても仕方がない、そう思っているうちに、また、うとうとする。つぎに眼がさめるのは六時過ぎ。ときには、六時半。もう眠っているわけにはいかない。ゆっくり食事の仕度をする。

2 好きな食べものは? どんなお食事をしていますか。
 
 ――だいたいパンにコーヒー。つぎの週は中国粥。またパンにもどる。
 食事をすませると、あとはもう何をするでもない。本も、この頃は一日かかってやっと一冊読む程度。途中で放り出してしまうことが多い。
 ただ、ぼんやり何か考えているのだが、何を考えていたかを考えるときは、もう忘れている。
 私の生活は平凡なものだよ。もともと有名な作家ではない、かつて小説を書いた、今も文章を書いている、だから作家ということになっている。たいして才能のない作家なんだ。

3 おやすみになる時間は?

 ――だいたい深夜の二時か二時半。

4 好きな音は?
 
 ――音楽。ダメ? 困ったな。天ぷらのレンコンを食べるサクサク。

5 嫌いな音は?
 
 ――暴走族のオートバイ。

6 好きなことばは?

 ――「二十年もしたら……(中略)……きみたちもかつての自分を思い出すことがあるだろう。そこで私の話を思い出して、こういうかも知れない。〈三年間、あの講義にはうんざりさせられた。いやな先生だったけれど、大事なことをいってくれてたんだなあ〉って。」
 ルイ・ジュヴェのことば。

7 嫌いなことばは?

 ――らぬきことば。「見れる」、「着れる」。変形したことば。「鳥肌が立つ」、「生きざま」といった誤用。自分の子どもに「してあげる」だってさ。冗談じゃねえや。まったく。

8 気分がもりあがるのは?

 ――何かの仕事が終わって、少人数の仲間が集まってビールか日本酒でも飲みながらわいわいさわぐとき。ほんとうに楽しいんだ。

9 しらけることは?

 ――つまらない舞台や映画を見おわって、さも感心したような顔で拍手する。すばらしい作品をわざわざつまらなく訳すやつ。つまり……おれ。ムカつく。

10 好きな悪態は?

 ――てめえ、何さまのつもりなんだ? 日に一度は自分にむかって悪態をつく。

11 好きな風景は?

 ――西穂高で見たブロッケン。西千葉で見た二重になった虹。両国橋、回向院のほうから浅草橋にかけて。マニラ湾の夕陽。秋のモスクワ、プーシュキン美術館から外務省の方角のたたずまい。ローマ、クィリナーレの小路にある小さな、荒れ果てたローマ時代の学校の跡。山梨県のある温泉。パリ、モンソー公園。空から眺めたタコマ山。サイゴン河口の埠頭。市川のホテルから見えた富士山。下総中山の古いお寺。
 どの風景にも忘れられない思い出がある。

12 嫌いな場所は?

 ――日本中どこに行っても変わりばえのしない駅前、駅付近の盛り場。香港のタイガーバウム・ガーデン。あれほど俗悪な場所はめずらしい。東京では渋谷。お茶の水駅近辺。ひどく変わってしまった。

13 好きな映画は?

――無数にある。

  映画のなかで好きなシーンは?

――そんなの、いちいちあげていたら一冊の本が書けるよ。

14 どんな女性が好きですか。

――「ベティ・ブーブ」。「白雪姫」。「オリーヴ・オイル」。『つる姫じゃーッ』の「つる姫」。『タッチ』の「みなみ」。「チビねこさん」。『めぞん一刻』の「響子」。最近では「アズキちゃん」。『犬夜叉』の「カゴメ」。

 みんな、マンガのキャラじゃないですか。もっとまじめに。ふつうの女性をあげてください。どういう女性がお好きですか。たとえば女優さんでは? マリリン・モンローですか?

――マリリン・モンローには、もう関心がない。もっと新しい女優さんに関心をもっている。

 もっと?

 名前が……出てこない。つい少し前までは、林 青霞(ブリジット・リン)が好きだった。そのあとは張 曼玉(マギー・チャン)。最近では『冬のソナタ』のチェ・ジウ。章子怡。あとは……みんな忘れた。

  シンガーでもいいです。フェイ・ウォンですか?

 ――最近のフェイ・ウォンには関心がない。二十一世紀になってからは、う〜ん、小雪(シャオ・シュエ)、辛 暁棋、阮 丹青あたりかなあ。ほかにもいっぱいいるからねえ。私の「恋人」は。

15 最近のご自分について。

 ――自分で自分を利口だと思ったことはない。さりとて自分をバカと思ったこともない。自分を愛するなんてバカげたことだろう。自分を憎む。それほどバカではない。
 自分自身と対話する。今はもうそんなこともない。自分と話をして、おもしろいこと、今まで関心がなかった興味深いもの、思いがけないテーマでも出てくればいいのだが、そんなことはまずありえない。われながらつまらない男だと思っている。

16 もし、女として生まれていたら。

 ――そんなことは考えたこともない。

  では、考えてみてください。

 ――う〜ん、そうだなあ。ずいぶん幸福だったと思う。もともと自分が幸福かどうかなんて考えたこともない。ただ挫折や失意は、いやというほど味わってきたからねえ。それで自分が女だったら幸福になれたかも知れないと思うんじゃないか。

  どうしてですか。

 ――なぜ、そんなふうに想像するのか、自分でもよくわからない。今の私は自分が幸福でなくてもいっこうにかまわないのだから、理由はわからなくてもいい。女だったらきっと幸福になれたような気がする。だいいち、神経叢の数が違うからね。ただし、「どうしてそんなにも幸福なのか」と不思議な気がしてきて、考えれば考えるほど不幸になるだろう。

17 人生で、大きな影響をうけたできごとは?

 ――戦争。無数の死。その一つは弟の死。六歳で亡くなった。私の内面に大きな翳りを落としたと思う。作家としての生活に大きな変化をもたらしたのは大学の先生になったこと。もともと私には人に何かを教える才能はなかったのに。

18 人生で大きな影響を受けた人は?

 ――自分が出会ったすべての先生、先輩、友人、恋人たち。そして、ペットたち。

 もう少し限定してください。少年時代に大きな影響をうけた人は?

 ――小学校の四、五、六年の担任だった壷 省吾先生。中学で英語を教えてくださった春日 正一先生。小学校の頃、近所に住んでいた陳さん。三十代なかばで東北大に留学していた中国人。日中戦争が起きた日、小学生だった私にむかって、戦争が起きたのでおじさんは中国に帰るけれど、きみはしっかり勉強しなさいね、といって、手を握ってくれた。私は涙ぐんだ。帰国した彼は国民党軍の大尉として戦死したという。
 仙台から東京の下町に戻ったとき、私は中学二年だったが、どこの中学に転校していいのかわからなかった。私の祖母は近所に住んでいた朝鮮人の崔さんに相談した。崔さんは明治大学の出身で、左翼の転向者だったらしい。彼は少年の私を母校の附属中学に入学させようとして奔走した。この転校が私の運命をきめたと思っている。
 仙台の陳大尉、本所の崔 永源。隣りに住んでいた貧しい朝鮮人の家族たち、私より少し年下の娘のことをときどき思い出す。李喜順。今でも中国人、韓国人に親しみとなつかしさをおぼえる。

19 お好きなレストラン、喫茶店は? 酒場は?

 ――気に入った店を見つけると、いつもそこにしか行かなかった。有楽町にあった「レンガ」。駿河台下の「ラドリオ」。銀座の「トリコロール」。「山ノ上」のバー。神保町の「あくね」、「弓月」。今はもう好きな店も酒場もなくなってしまった。
 最近は「SHAR」の人たちと、いつもきまったビアホールか居酒屋に行くことが多い。

20 先生の大切にしているもの。

 ――イギリスの少女、ケーテ・ホジキンソンが生涯にただ一通、和紙に日本語で書いた手紙。
 五木寛之が贈ってくれたヘンリー・ミラー直筆の詩。ピカソのデッサン帳。作家アナイス・ニンが送ってくれたサイン本。アルベルト・モラヴィアのサイン本。
 十五世紀に書かれた「メディチ家の歴史」。十五万円で手に入れた。

21 「バベル」や、大学の思い出は? 

 ――いつか、書いてみようと思っている。

 教える才能がないとおっしゃっていましたね。それなのに、どうして学校の先生になられたのですか。

 ――すべて偶然だった。先生にだけはなるまいと思っていたのに、いつの間にか先生になっていた。

22 嫌いな作家、評論家は?

 ――嫌いなやつのものは読まない。だから、好き嫌いは考えない。

  しかし、誰かいるでしょう? ぜひ、あげてください。

 ――はっきりいえば、私の嫌いなやつは中村 光夫、唐木 順三。中村 光夫のたるんだ文章を読むと吐き気がする。三流のくせに一流の思想家みたいな顔をしている唐木 順三はもっと嫌いだね。個人的な理由もある。私怨といっていい。これはいずれ書くつもり。あとは嫌いなやつはいない。

23 では、それ以外に何を書くのか教えてください。

 ――少し長い小説を書いている。

24 評伝をお書きになる予定は?

 ――日本人の伝記を書きたいのだが、もう時間がない。

25 翻訳は?

 ――あまり、やりたくない。ただし、短いものでも翻訳しようか。

  先生が翻訳をなさるのは、うれしいと思います。どんな作家のものを?

 ――最近の作家で翻訳をやる人は多くはない。ずっと先輩の作家、阿部 知二、伊藤 整などは純文学の作家で翻訳家としても一流だった。私より若い人では、常盤 新平、村上 春樹がいるね。私はおふたりに敬意をもっている。

 でも、先生は翻訳家としても知られているでしょう?

 ――作家としては限りなく無名に近いし、翻訳はミステリー、SF、ホラーといったジャンルのものばかり翻訳してきた。純文学の作品を訳したことはない。いや、そうはいっても、戯曲は訳してきたしヘミングウェイ、ヘンリー・ミラー、アーウィン・ショー、アナイス・ニンといった作家のものは翻訳してきた。まったく売れないものばかり。訳したいと思った作家はたくさんいる。しかし、チャンスがなかった。今、訳しているものも、まあ売れないだろう。

26 近況は?

 ――この数年の私はひどく不運だった。これから書くものは、どこかにその翳りを残しているかも知れない。自分が不遇とか不運などとは考えたこともないのに、ひどく不幸だったことは間違いない。さらに、今年の私はたてつづけに不運に見舞われつづけた。
しかし、自分がどんなに不運であってもめげたりしない。何度も何度も挫折を繰り返したおかげで、どうしてこんなに不運なのだろう、と、これも不思議な気がしてきて、そう考えるときの私は不幸なのだ。だから、そんなことは考えない。

27 作家にならなかったら、どんな職業につきたいですか。

 ――う〜ん。困ったなあ。花火師。自分の作った花火が一瞬、空にきらめいて消えてしまう。自分のカンで、火薬に発色剤をまぜて、和紙でぐるぐる巻きつけてゆく。打ち上げられたときの輝きを想像しながら作るんだね、きっと。現場に出て、火をつけて打ち上げたときは、もうつぎの花火を仕掛ける。ああいうのがいい。終わってしまえばすべて消えてしまう。
 歩く仕事だったら、てんびん棒をかついで、客に呼ばれると、その場でウナギを綺麗にさく、ウナギ屋さん。今はもうそんな職業もなくなったけれど。

28 つきたくない職業は?

 ――電話で、保険の勧誘、物品のセールス、土地や、マンション、お墓などの物件を売り込むセールスマン。

29 芝居でやってみたい人物は?

 ――シェイクスピアの「イヤーゴ」。『ヴォルポーネ』の「モスカ」。『お月さまのジャン』の「クロクロ」。『欲望という名の電車』の「ミッチ」。歌舞伎なら、「岩藤」。

30 天国に着いたら、神様になんといわれたいか。

 ――せっかくきたのだから、よく見ておきなさい。