1922〈少年時代 16〉

2021年、私たちは、コロナ禍のさなかにいた。5月13日、新型ウイルスに感染した重症患者は、1214人(速報値)。重症患者が、1200人を上回るのははじめてだった。 5日連続で過去最多を記録した。5月1日から13日連続で1000人を越えている。
そんななかで、2月に一人の女性が老衰で亡くなっている。平井 英子。104歳。

昭和初期に創立された日本ヴィクターの童謡歌手。同時に専属になったのは、作曲家の中山 晋平、作詞家の西条 八十、オペラ歌手の藤原 義江(ふじわら・よしえ)がいる。これだけでも、平井 英子の人気がわかるのだが、私たちが知っている曲としては、「アメフリ」、「てるてる坊主」、「ウサギのダンス」など。

雨 雨 降れ降れ 母さんが 蛇の目で お迎え うれしいな
ピッチピッチ ジャブ ジャブ ランランラン

梅雨どきに、雨が降っている放課後に母親が、蛇の目の傘をかざして、校門の前で待っていてくれる。そんな光景がうかんでくるが、私の小学校では、校門の前で待っている母親の姿など、ほとんど見たおぼえがない。
それでも、「ピッチピッチ ジャブジャブ ランランラン」というメロディーは私の心にきざまれている。

平井 英子の名前をおぼえていたわけではない。しかし、エノケンの劇団にいた二村 定一が、童謡歌手の平井 英子と共演した「茶目子の一日」という童謡劇も、ぼんやりおぼえている。

小学校の行事に、学芸会があった。各学年から、担任の先生が選んだ生徒たちが、歌や踊り、みじかい劇などを披露する。
私たちのクラスで、ダンスをやることになった。

ソソラ ソラソラ ウサギのダンス

平井 英子の童謡のレコードにあわせて、担任の先生の振り付けで踊るという趣向だった。
このプログラムに、私が選ばれた。女子のクラスから、Aさんという女生徒が選ばれた。デュエットだった。
振り付けは、佐藤 実先生ではなく、女子クラスの担任、沢田先生と内馬場先生。

私は、沢田先生の振り付け通りに動いただけだったが、一緒に踊ったAさんは入学した当初から全生徒の注目を浴びていた。(彼女に迷惑をかけたくないので、Aさんとしておく。)
Aさんはめんこいお人形さんのような美少女だった。

幼い私の目からみても、たいへんな美少女だった。私たちのような幼い少年たちばかりではなく、先生たち、ほかの父兄たちにも際立って可愛い少女と見えたに違いない。

いまでこそ、「かわいい」という形容詞は、世界的に知られるようになっているが、戦前から終戦後しばらくは、自分より年下の女の子に対する評価に使われていた。
昭和初期には、現在のように、若い女性の魅力を表現する「かわいい」や、さまざまに未完成、未成熟なものに対して価値、美などを表現することばではなかった。

「かわいい」という言葉の含意(インプリケーション)には、あきらかに世相、風俗、価値観の変化、ファッション、メーキャップなど、女性の自己イメージの変化が反映している。

昭和5~12年に、「イケメン」、「カマトト」、「ぶりっ子」、「マジヤバ」といったことばはなかった。まして、「チャパツ」、「サバサバ女」とか「アザとかわいい」といった形容など存在しなかった。
Aさんは、こういう形容にあてはまらなかった。ただひたすらかわいい女の子だった。ふわふわしたり、クネクネしたり、確信犯的にかわいい「アザとかわいい」種類の女の子ではなかった。

一年生の私は、ただかわいいAさんといっしょにダンスをすることがうれしかった。

男の子が同年の女の子と口をきくことさえもめずらしい時代だった。だれもが羨ましかったに違いない。なぜ、私が選ばれたのか。そんなことも考えなかった。

私は、Aさんとふたりで踊るだけで、はじめて舞台に立っているという感覚を知った。ダンスといっても、お互いに手と手をつないで、ぐるぐるまわったり、少し離れた位置で、スキップを繰り返したり。さしづめ 幼稚園の子どものお遊戯のようなものだった。
それでも、手をつないだときにAさんの顔がすぐ眼の前にあった。まるで日本人形のように綺麗な頬、ほっそりとした眉、すっきりと鼻筋の通った顔が、いつも私の視野のなかにおさまっていた。

Aさんは先生たちだけでなく、たいていの人が、自分に対してそれぞれの賛嘆のまなざしを向けていることをどう受けとめていたのだろうか。
ダンスのターンですっと振り向いたとき、ほんのりと紅潮したAさんの美しい顔が、私のすぐ隣りで微笑している。まるで活動写真のクローズアップのように心に残った。

私たちは大きな拍手でむかえられた。アンコールの拍手だった。

このとき、私は舞台に立って観客に拍手される眩暈のようなものをはじめて感じたような気がする。母の宇免も見にきていた。

中学生になった頃、他校の生徒に呼びとめられて、
「どこん学校だ? 荒町か。おめどこに、めんこいおなごがいるべ。名めはAだども。おらどこでも、評判だでや」
といわれたことがある。

当時の仙台は東北の大都市といわれていたが、実際には狭い土地で、よその小学校や、中学校の生徒のうわさが届くこともめずらしくなかった。仙台一中に、針生 一郎という秀才がいる、といったうわさを聞いたこともある。後年、私は「俳優座」の養成所でアメリカの劇作家について講義をしたが、翌年、おなじ「俳優座」で針生 一郎が講義をはじめたとき、ああ、うわさに聞いた針生 一郎が出てきたな、と思った。

小学生だったAさんが誰に似ていたか。もうおぼえてはいない。
ただ、今の私は、はじめから比較も何もできないと承知のうえで、現在、「2020年代」、中国のトップスターといわれている范 冰冰(ファン・ビンビン)をそのまま少女にしたら、Aさんに似ているかも知れないと思っている。
それほどの美少女だった。