当時の仙台は、まだまだ封建的な気風がつよかった。これは否定できないだろう。仙台のような中都市に育った身体的に発達の遅れた少年は、人格発達に、いささかなりとも悪い影響をおよぼすような社会的、心理的な環境に置かれていたといってよい。
かててくわえて、東京から移住したヨソモノだった。
このことから、どちらかといえば、否定的な自己観、他人から拒否されているというねじくれた感情、永続的な依存感情、あるいは、自分の家族に対する反抗的な態度などが見られる。
身体的に未熟な少年少女は、どうしても、青年期の後半において、個人的に、社会的に不適応感を持つことが多いのではないか。むろん、これはあくまで私の場合であって、青年期の後半になって、自分の感情や情緒に直面する意欲や能力をもつ人が多い。
それは彼らが、他人の態度や、自分の不適応感や依存性をはっきり自覚するからだろう。たとえば、北 杜夫、井上 ひさし、寺山 修司と見てくれば、私のいう意味はわかるはずである。