1956 〈少年時代 42〉

「戦後」すぐの1946年の4月頃。
私はほとんど無収入だったので妹の履き古したサンダルシューズを借りていた。
戦争が終わって復員した後も、旧陸軍の軍靴を履いている人がめずらしくなかった。私は純子の履き古したサンダルシューズ、妹の古着(女ものの背広)を着て、「近代文学社」に出かけていた。なにしろ、外出用のコートも純子がしばらく着ていたスーツを貰いうけたものだった。
当時、頑丈な軍靴を履いていた野間 宏が、私のサンダルシューズに気がついて、不思議そうな顔をした。女もののサンダルシューズだったから。私は顔から火が出るほど恥ずかしかったが、野間 宏は何もいわなかった。
その頃、純子を「近代文学」の人々に紹介したことがあった。純子は、当時、ある製薬会社に勤めていたので、私と違って、それなりのサラリーを得ていた。
本多 秋五が、
「中田君の妹さんは、(中田 耕治と違って)じつにのびやかで、素直なお嬢さんだねえ」
と褒めてくれた。埴谷 雄高がうなずいて、
「身内にああいう妹さんがいるのはいいね」
といってくれた。

 

 

 

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