1952〈少年時代 38〉

あくる朝、私は起きてすぐに楽屋裏に出た。
それまでは、楽屋から舞台に出ても、何も感じなかったのに、その日は、舞台を通るのが恐ろしかった。舞台を通らずに枡席に出た。

舞台に老大工がいて、何かの作業をしていた。いつも見慣れていることなので、いくらか安心しながらそばに寄っていった。大工さんは、障子の木枠を床(ゆか)において紙の張り替えをしていた。舞台の装置を作っているらしい。作業を終えると、その障子に長い定規をあてて、バケツに溶いたフノリに刷毛をとって泥絵の具で枡目の線を引く。たちまち、一枚の障子ができあがった。

この瞬間、私はほとんど自失していた。私が見たのは、昨日、オバケが突き破った障子だった。

子どもの私は、はじめて舞台装置というものがあることを知ったのだった。芝居というものは、こうして作られるのかという驚きがあった。老大工は、手際よく障子紙を張って、泥絵具をつけた刷毛で、障子の桟(さん)を描いてゆく。

これなら、オバケが障子を突き破って出てきても不思議ではない。幼い私は、芝居というものが、こういう作業の上でなりたつものとはじめて知った。
これが、私の内面に芝居というものは誰かの手によって作られるものだという「発見」を呼び起こした。

この障子を見たとき私は驚いたが、なぜか自分の心が、不意にあかるくなったような気がする。これならいくらオバケが障子の桟(さん)を突き破って出てきてもおそろしくない。私は、ほとんど茫然として、老大工の仕事を見ていた。
このときの私が何を考えたのか、今となっては思い出せないのだが、ただ茫然としていたようだった。ただし、自分の知らなかったことを知ったという思いに胸が波立つのを感じた。

それだけの経験にすぎない。

今になってみると、後年の私が舞台の仕事をつづけたのも、この発見になんらかのかかわりがあるような気がする。

ただし、その晩の芝居は見なかった。役者の動きや段取りもわかっていたが、話のスジや、役者のセリフがわかっているだけに、怖くて怖くて舞台を見る勇気はなかった。

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