1945〈少年時代 31〉

小学3年生という時期は、何というあわただしさで過ぎ去ったことか。

私は学校から帰宅すると、少年倶楽部を読みふけるようになった。毎月届けられる少年雑誌だった。
マンガに夢中になった。

この時期の少年としては、他人の注目を惹こうとする少年で、落ちつきがなく、いつまでも子どもっぽい性格だったらしい。
むろん、マンガだけではない。山中 峯太郎、高垣 眸の冒険小説、佐藤 紅緑の少年小説などに夢中になった。
私が、少年倶楽部を読みふけるようになったことと、彦三郎先生に無視されたことにはなんの関係もない。しかし、少年倶楽部を読みふけるようになったのは、学校の授業がおもしろくなかったせいで、彦三郎先生から受けた冷たい教育の影響がなかったとはいい切れないと思う。ようするにウマがあわなかった、ということだったのではないだろうか。この年、私は優等生になれなかった。

私は、マルローのように自分の少年期を憎んではいない。ただ、人生の早い時期に、厳格で、謹直な彦三郎先生の教育を受けたことを嬉しく思っている。
先生に対する敬愛は変わらない。しかし、それ以後の私は、意識的に彦三郎先生のようなタイプの先生に近づかないようになったからである。
今となっては、彦三郎先生にむしろ感謝しているといったほうがいい。

ある日、私は父の書棚にあった本を手にした。
芥川 龍之介という作家の短編集だった。その1編を読んだ。みじかいので、すぐに読み終えた。読み終えたとき、何だ、これは? と思った。それまで、「少年倶楽部」で読んできた小説とは、まったく違うものだった。私の読んだものは、大奥の茶坊主、「河内山宗俊」という人物が、加賀の前田侯にとり入って、まんまと銀の煙管をせしめる、といった内容の短編だった。
この瞬間に、私は小説を読む面白さを知ったのだった。
つづいて、私は、別の本を手にした。ジョン・ラスキン。「黄金の河の王さま」という寓話めいた小説だった。このときも、これは何だろう? という疑問と、この中編も、やはり小説なのだろうか、という疑問が生まれた。

好奇心のつよい少年だった私は、芥川 龍之介、ラスキンを手がかりにして、それ以外の作家たちにも眼を向けはじめた。