1942〈少年時代 28〉

当時、巷で流行っていた歌を思い出す。
「二村定一」(ふたむら・ていいち)が歌っていた「青空」。「狭いながらも楽しい我が家」のメロディーは、子どもたちもよく歌った。それに、「オレは村じゅうで一番モボだといわれた男」といったメロディーも、よく歌ったものだった。

1934年、千田 是也が、「東京演劇集団」を結成して、ブレヒトの「三文オペラ」を演出したとき、エノケン(榎本健一)と一緒に二村定一を起用した。当時のエノケンの人気は、たいへんなものだったが、二村定一がいなかったら、エノケンもあれほどの成功をおさめなかったと思われる。「青空」もエノケンが歌っているが、オリジナルは二村定一とデュエットで、私のような小学生も、エノケンのファンだったから、「青空」を歌ったものだった。

彦三郎先生は、そんな私の軽薄なところがお嫌いだったのではないかと思う。

今、思い出そうとしてもこの先生に親しみを覚えた記憶はない。綺麗さっぱり消えている。むろんどんな授業を受けたのか、教室での思い出はほとんどない。
3年生の学期の最後に、私は優等生ではなくなっていた。通信簿には、乙という評価が並んでいた。