堤 理華

中田耕治先生

 先生がみまかられてから、はや六か月がたちました。わたしにとって十一月というのは、どうも喪の月のようなような気がします。大好きな坂本龍馬、フレディ・マーキュリー、ジョルジュ・ドン、モーリス・ベジャールもみな十一月に旅立っていきました。そこに恩師である先生が加わられたのですから、十一月は空を見あげる日が多くなりそうです。
 あれから雪が降り、梅が香る早春となり、柳が芽吹き、桜が咲きほこる爛漫の春が訪れ、新緑が薫風に揺らぎ、いまは雨が降るたびに少しずつ緑が濃くなる六月です。今年もツバメがやってきて飛び交い、巣作りに励んで雛を育てています。そういえば、先生はツバメの雛を拾って育てたことがおありでしたね。ツバメの成鳥だけでなく、一歳のツバメもある程度は、前年と同じ巣の近くや繁殖地に帰ってくるそうですから、先生の書斎から巣立った雛の子孫がご自宅の周辺で毎年子育てにいそしんでいるかもしれません。そんなことを考えると、少し楽しくなります。
 先生の授業のきびしさは伝説ですが、わたしが受けた数日間のスクーリングの授業でも、そのきびしさの片鱗があったと思います。先生の大きな目でぎろりと睨まれ、「ほんとうにこの翻訳でいいのか」と問い詰められると、なにをどうすればいいのかまったくわからなくなり、帰ってから泣いたものです。しかし先生はきびしいだけでなく、わたしたちのようなスクーリング受講生にもお優しかった。授業のあとは、いつもわざわざ門下生の方々を呼んで飲み会を開き、交流の機会を設けてくださった。そんな先生と門下生の方々の優しさや隔てのなさに励まされて、いつのまにか中田門下の末席に連なるようになりました。
 人間というものは畢竟、無数の出会いによってできているのでしょうが、自分の核となる部分を形づくり、迷ったときにいつも立ち返る場所となってくれる「恩師」とめぐりあうことは、稀有な幸福なのだと思います。先生の教えは消えることがありません。
 今日も雨が降っています。早朝は土砂降りで強い風が吹いていましたが、いまはけぶるような霧雨となり、スズメも鳴きはじめました。小鳥の声が聞こえると、もうすぐ雨があがるなとわかります。あと一、二か月もすれば、先生のお好きな夏がやってまいりますね。じつを申しますと、こうしてめぐる季節のなかに先生がおられないという実感がまだわかないのです。だから、お手紙といたしました。

     二〇二二年六月

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