高野 玲子

 私が「中田耕治」という人物を知ったのは、「中田さんという人が書いた、ジュヴェについての本が出るらしいから、是非読むといいよ」という、師の言葉からだった。
 すぐに書店へ行って、予約した。私には大金だった6800円のその本は、読み終わった時には、“たったの6800円”だった。
 「中田耕治」とはどんな人物だろうかと、調べた。現代演劇史の本で。
 その人は、二十代の前半、師の恩師と名を連ね、日本の演劇と文学を繋いで土壌を耕し、新しい種を蒔こうとした活動に参加していた。
 既に活躍していた名士たちも、勢いのある若手も、ジャンルを越えて集った「雲の会」。1950年、軍国主義や戦争が遺した大きな傷みが少し癒え、社会全体が青春期のような混沌と微熱を持った時期。希望を抱き、しかしまた、悲愴かつ切実な決意を持った集結であっただろう。短期間に散開し、世の中からも忘れられていったけれども、様々な形の果実を結んでいる。
 翻訳家、教育者としての中田氏を、私はよく知らぬまま、『ルイ・ジュヴェとその時代』に支えられた時間を、生きてきた。
 コロナ禍は、多くの混乱を招き、失われたものは計り知れない。その一方で、各個人には、自己と向かい合う機会ともなり得たのではないか。自転車操業の私の日常にも、不安のなかに、ひとときの休息がもたらされた。眠っていた『ルイ・ジュヴェ……』を再び開き、中田氏のブログを見つけ、田栗美奈子氏のご配慮で、中田氏を中田先生とお呼びするご縁を得た。
 本の中の言葉と親しくしてきた中田先生と、対面する機会を戴いた。本を書いてくださったことの深い感謝を声にした。毅然とした面立ちと佇まいに温かい微笑を浮かべ、中田耕治という人は、そこに存在していた。その生きた時間の集積をはっきりと私に提示し、現代史として何か終わったことのように捉えていた時間と一続きの今に、目を開かせた。
 中田先生の本を通して、伝説のジュヴェが生身の存在となり、現在も私の人生に伴走する。
 世界には、いつの時代も、戦争・紛争、差別、貧困、束縛と、あらゆる難題が立ち塞がり、人は人との邂逅と離別を繰り返し、自己と格闘して些細なことにも心を折る。だからこそ、時間と空間の軸を再構築し、客観的に、また内心に迫って捉えられた、ルイ・ジュヴェという大きな耀きの足取りは、慰めにも叱咤激励にもなり、共感を持って、今日を生きる勇気を手渡す。
 今、改めて声にしたい。不遜ながら、中田先生のあとがきに倣って。
 ありがとう、先生。

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