448

ベスト・セラ-。

自分の小さな「箱」から脱出する方法
鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のル-ル
子供の領分REMIX・・be under・・
アフィリエイトの神様が教える儲けの鉄則50
「感動」と「幸せ」の法則
アメ-バ経営 ひとりひとりの社員が主役
若者はなぜ3年でやめるのか? 年功序列が奪う日本の未来

すばらしい本ばかり。
こうしたベスト・セラ-を読めば、きみもきっと成功する。

だいいち、こんなに長いタイトルの本でないとベスト・セラ-にならない。
人生のどんな問題も解決する魔法のル-ル。もっともっと前にこの本が出ていたら。私も幸福になれたのに。その前に、少しはましなもの書きになれたかも知れない。

447

本を読む。たいていは二度と読まなくてもいいと判断できるから。いつか、また読み直そうと思うような本もある。
生涯に何度も読み直す本もある。

結婚もおなじようなものだ。たいていは二度と結婚しなくてもいいから結婚する。

446

冬の日。

冬の日の晴れたる空の底深く潜(ひそ)みてものをおもふべきかな
--金子 薫園

いい短歌だと思う。「ものをおもふ」は、ほのかに恋の含意。想う、ということばを忘れてしまった今の私たちは、思う、としか書かない。
冬の日、よく晴れた空を見つめながら、私の内面にひそむ想い。

黄なる葉の落ちつくしたる木の間より見る大空の青のつめたさ
--尾上 柴舟

これは自然詠で、風景としては平凡だが、くり返して口にのせていると、もう私たちが気がつかない空の青が心に見えてくる。
場所はどこでもいい。公園でもいいし、旅の途中で見かけた風景でもいい。

籠居(こもりゐ)の庭冬さびて愁はしく 雲のかげ落ちおちては去るも
--中村 憲吉

憲吉としては、それほどいい作ではない。どうも下五、「落ちおちては去るも」が気になる。ただ、「籠居(こもりゐ)」とか、「冬さびて」とか、「愁(うれ)わしく」といったことばが消えてしまったことを惜しむために書きとめておく。
おなじ憲吉に、

曇る日のこころを傷み野の空に虚(うろ)吹く風を寒みつつ行く

という一首があるが、こういう歌にははじめから心を動かされない。作者としては、なにか切実な思いをこめての作だと思うけれど。

445

ドキュメント「その時歴史が動いた」は、だいたい見ている。ただし、キャスタ-をやっている松平 定知を見るためではない。ゲストの意見を聞きたいからである。
松平 定知は、「読み」のナレ-ションは優秀、ゲスト相手のト-クはあまりよくない。誰しもそれは感じているらしい。
「その時歴史が動いた」(06.11.8)の批評に、

「キャスタ-の松平 定知アナウンサ-には失望した。大仰な身ぶりといきぐるしそうな語り口は変わらず、歴史ロマンに思いをはせる余裕を見る側に与えてくれない。」(06.11.8.「読売」)

と書かれていた。
可哀そうに。
ラストで、視聴者に挨拶する。このとき、きまって両手を机におく。両手を大きく横において構えるので、いかにも肩肘いからせ、威張って見える。それがひどく尊大に見えるのだが、キャスタ-が偉すぎるので誰も注意しないのだろう。
ああいう番組のキャスタ-はもう少し自然に見えたほうがいい。

私がもっと気に入らないのは、松平 定知よりも、あきらかに松平そっくりのト-ク、ジェストがNHKの若いアナウンサ-にひろがっていること。
若い女性のアナウンサ-にもひとりいる。松平 定知よりも、もっと松平的な女性。きっと自分は大NHKのアナウンサ-だという気負いがあって語り口に押しのふとさ、ひいては傲岸さを感じさせる。
ひと昔前の宮田 輝のような、ネコっかぶりで、ニコニコしながら、視聴者をナメきっていたような感じに似ている。
まあ、チャンネルを変えればすむだけのことだが。

444

今年の夏は各地にクマが出没して、人を襲った。森林の伐採や開発が進んで、クマの食料不足が原因らしい。
クマばかりではなく、シカやイノシシなどによる農作物被害も大きい。’04年度の被害は206億円。イノシシが56億円。シカが40億円。
たいてい、地元のハンタ-たちが集まって、ものものしく警戒する。ときには、クマを射殺する。私にとっては、もっともいやなニュ-スの一つ。

むろん、被害を放置するわけにはいかない。
対応できるハンタ-が必要だが、高齢化がすすんで、ハンタ-の数は30年前の1/3以下、約15万人に減少している。
そこで環境省では、来年度から、ハンタ-の育成にあたることをきめた。鳥獣管理の「専門家登録制度」を創設して、ハンタ-や、狩猟計画策定にあたる研究者を全国的に募集する、という。
初心者がハンティングの経験をつむことが必要なので、環境省は全国34カ所の猟区で、狩猟期間を延長するという。ハンタ-たちは欣喜雀躍としているだろう。(’04.11.10.)

ところで、日本には女性ハンタ-はいるのだろうか。あまり聞かない。

戦前に演劇評論家として知られていた渥美 清太郎を読んでいて、「婦(おんな)風景十二ケ月」のなかに、
「近頃は女も山でポンポンやるのが流行(はや)りますな。このひとは、山鳥をねらっているのですか。」
とあった。
この「近頃」は、昭和10年(1935)秋。絵の女性はススキを踏みしだいている。
狩猟服、ガンベルト。ぶっちがえの革ベルト、左に雑嚢、右に水筒。足にゲ-トルというスタイルで、ライフルを構えている若い女性を描いたイラスト。獲物はキジ。
日本画家、清水 三重三のイラスト。

まだ日中戦争は始まっていない。
このお嬢さんは当時のモガのひとりだろう。戦前、おそらく一部にかぎられていたはずだが、女性のハンティングが流行していたとは知らなかった。

そこで、私としては・・・今後、環境省のハンタ-の育成や、鳥獣管理の「専門家登録制度」には女性をどんどん積極的に採用してもらいたい、と思う。

頭のお不自由なお役所のことだから、こんな提言が聞かれるはずもないだろうが。

443

ある女流作家がエッセイ集を出した。
関東の居酒屋をめぐり歩いて、ほろ酔いまかせに思い浮かんだあれこれ をつづったものという。『東京居酒屋探訪』。おもしろそう。
この人が「これまた乙なもの」というエッセイを書いていた。居酒屋にきている連中を観察したあと、

「そしてみんなそれぞれ、かならず帰ります。闇に飲まれて家路を辿ります。そのさびしさも、これまた乙なものでした。」

わかるなあ、こういう気もち。
それはそれとして・・・ほう、と思ったのは「乙なもの」といういいかた。今でも使われている。このことに感動した。感動というのも大げさだが。

オツなもの。もともとは鼓打ちからきたらしいが、気がきいている、とか、味なものといった意味で使われる。漱石の『坊ちゃん』にも出てきた(と思う)。
こういうことばが、今の若い女性に使われていることがうれしい。
ただ、このことばには、もう一つ、微妙なニュアンスが重なっている。あまり見かけない、ちょっとスジが違う、奇妙な、といった感じ。外国語ではうまく表現できない。
奇異  strange でもないし、おかしい funny ともいえない。
「彼はいつもオツにすましている」というように使われる。和英辞典 をひいてみると He always puts on airs.という例が出ていた。
私の感じでは、すこし queer で、weird なもの。

こんなことを考えるのは、あまりオツじゃねえな。

442

鍋料理のおいしい季節になった。

ひどく簡単な鍋料理だが、細いソ-セ-ジをいためる。その脂でザウワ-クラウト(キャベツの塩漬け)をいためて食べる。まるっきりアルザスの農家の味。

私のちゃんこ鍋、といってもお相撲さんのちゃんこ鍋とはべつのもの。寄せ鍋。
お相撲さんのちゃんこ鍋には、つくねをメインに17種類の具という豪勢な鍋もあるが、私の鍋は残りものや、冷蔵庫にあるものを利用するだけ。
お上品な鍋ではないので、ダシは必要ない。
肉といっしょにサカナや貝(何でもかまわない)、野菜、とくに白菜。春菊。
肉は牛肉なら少し(アクが出る)、ブタ、トンソク、トリ。魚は白身がいいのでタラにするが、なんなら鯛の切り身を入れてもいい。
シラタキ、ト-フ、タケノコ。シイタケ、ナルトの切れっぱし。ごった煮。
眼目は、うどん、キシメン、キリモチ、なんならハルサメでもいい。
煮あがったら、ショ-ユ、酢、これにラ-ユかマスタ-ドを溶かしたヤツで、フ-フ-いいながら食べる。

もう一つ、冬の季節、私がときどきいただく「寒貧飯(カンピンパン)」。清国の車夫馬丁のやからが食べたというから、文字通り、貧乏人の食うオマンマ。ぐるめのお方には、おすすめしない。
ブタ肉のコマギレ少々を鍋でいためる。少しいためたら、こまかく(1センチ~2センチ)切った野沢菜をひとつかみ放り込む。好みで塩をふりかけてから、お湯をひたひたにそそぐ。煮立ったところに、ご飯をまぜてお粥ふうにする。
所要時間、2~3分。自分でつくれるところがいい。

いかにも貧乏作家の昼メシだが、けっこうオツなもんで。

441

日本映画に、はじめてキスシ-ンが登場したのは戦後だった。それまでは、恋愛映画でも恋人がキスするシ-ンはまったく存在しなかった。日本の風俗、習慣に反するという理由による。外国映画でも主演のスタ-がキスする場面はカットされていた。

「大映」の「ある夜の接吻」で、恋人が相合い傘の下でお互いに顔を寄せあってキスらしい行為におよぶ。これだけで観客はショックをうけた。「松竹」の「はたちの青春」で、幾野 道子と大阪 志郎が、はじめて唇を重ねるキスシ-ンを演じた。

当時の大スタ-たちが、スクリ-ンでキスするようになるのはもっとあとで、「不死鳥」(木下恵介監督)で、田中 絹代が佐田 啓二を相手に(本格的な?)キスシ-ンを見せた。
つづいて、「我が生涯の輝ける日」の、森 雅之と山口 淑子(戦前の李 香蘭)のキスシ-ンは迫力があった。
山口 淑子はハリウッドに進出しようとして渡米したが、アメリカのジャ-ナリストのインタヴュ-で、渡米の目的は何かという質問に、「キスの仕方を勉強にきました」とやってのけた。これはウケた。こういうアテコミは当時の日本人の反感を買った。
アメリカでせいぜい勉強してきたおかげか、山口 淑子は「暁の脱走」で池部 良と熱烈なキスシ-ンを見せている。

左翼映画でも「女の一生」で、亀井 文夫監督は、沼沢 勲と岸 旗江にキスさせた。
労働者の恋愛は、開放的でなければならない。恋愛を秘事と考える思想と闘うため、屋外でキスをさせ、不快な感情を感じさせない健康的なものを描く、と語っている。
戦後の映画のキスシ-ンでつよい印象をあたえたのは「また逢う日まで」(今井 正監督)で、当時の青春スタ-、久我 美子と岡田 英次がガラス越しにキスするシ-ンだった。
ある女学生がこの映画を見に行って感動した。さっそく父親が見に行ったが、このキスシ-ンに激怒したらしい。帰宅した父親は娘を叱りつけて、いわく、
「あんな連中がいるから戦争(「太平洋戦争」)に負けたんだ」。

これは実話である。

440

桑野 道子は松竹の女性映画をささえたスタ-のひとり。田中 絹代、高杉 早苗、高峰 三枝子が大スタ-だったので、そのあとにつづく水戸 光子、木暮 実千代たちのスタ-と並んでいたような気がする。
芝の洋食屋の娘で、美少女だった。「森永」のキャンペ-ンで、スウィ-ト・ガ-ルに起用されたあと、ダンスホ-ル「フロリダ」のダンサ-になった。ここでスカウトされた。都会的な若い娘を演じたとき、桑野 道子は新鮮な魅力を見せた。明るい微笑を口もとにたたえながら、銀座あたりを闊歩していた「新しい女性」だった。

小学校から親友がいた。桑野 道子がダンサ-になってからも、この友人がかげでいろいろつくしたという。スタ-になってから、桑野 道子は芸能界の不安定な生活を考えて、お汁粉屋を出した。そのため、かげでいろいろ悪口をきかれた。
この親友が病気になった。身寄りもなく、独身のアパ-ト暮らしで、病気になったため、桑野 道子が毎日、大船撮影所から通って看病した。
しかし、病状はよくならず、寝たきりの生活をしなければならなくなった。
桑野 道子は、この親友が生活できるように、美容院を経営するようになった。そのため、桑野 道子は、映画女優にあるまじきマンモニストのように見られた。
戦争がきびしくなって、映画製作が惨憺たる状況になって、スクリ-ンで桑野 道子の姿を見ることがなくなった。
戦後すぐに、桑野 道子は映画に復帰したが、彼女自身が病に倒れて急死した。

その後、遺児の桑野 みゆきが青春スタ-として登場した。恵まれた環境に育ったお嬢さんだけに、将来を期待されたが、桑野 みゆきも早世している。

さまざまな芸術家の姿を見てきた。私は『ルイ・ジュヴェ』のなかで書いた。

今では誰も思い出すことのない俳優、女優たちにふれるのは、それぞれの時代の俳優たち、女優たちの姿やおもざしをなつかしむためではない。それぞれが、時代を生きて、いずれも「時分の花」としてときめいていた事実を忘れないためである。
(『ルイ・ジュヴェ』第四部第二章)
このとき私の内部に桑野 道子の姿がなかったか。

439

とてもいい伝記を読んだ。

私にとって「いい伝記」は、それを読む前と読んでしまったときの自分がなぜか違ってきたと感じられるような作品にかぎられる。自分が思いもかけない人物の人生を知ったというだけではなく、何か底知れぬ領域にのめり込んでしまっているような気がするとき。
ただその「人物」の生きかたに心を奪われて、ひたすら感嘆しているというのではなく、「ふ~ん、そうなのか。おれもそういうふうに生きているのかも知れないなあ」とか、「へへえ、これはアイツだよ、アイツにもこんなところがあるよなあ」といったふうに、自分の身にひきつけて考えたりする。
小説を読んでおなじような感じをもつことはあるのだが、いい評伝を読むほうが、こちらの感情移入が多い。

リットン・ストレ-チ-の書く短い伝記でも、いい評伝を読んだという充実感はあるが、やはり長い評伝を読んだときのほうが、つぎからつぎに引き寄せられて、出自から老年、はては、その死まで、(自分の人生にはまるで関係がないのに)読み終えるのが惜しいような気がする。
たとえば、モ-ロアの『マルセル・プル-スト』。ツヴァイクの『バルザック』。

伝記のおもしろさは、やはり、対象の人物の魅力に還元される。

何かの研究者がその研究対象を書いた伝記の大半には、どういうものか、伝記のおもしろさがない。ない、というより、はじめから気にしていない。専門家だから間違ったことは書いていないので、私はいつも敬意をもって読む。当然、教えられることも多い。しかし、かんじんの研究対象がいきいきと描かれていなければ、伝記を読むよろこびがない。
「よい伝記を書くことは、よい人生を生きることとおなじくらいむずかしい」とは考えない。リットン・ストレ-チ-。このことばにはおそろしい冷徹さがある。

私が最近読んだとてもいい伝記は、ロマン主義の文学者をとりあげたもので、ほんとうによく調べて書いたものだった。それでも、もう少しいきいきと描かれていれば、伝記の傑作になったのに、と残念な気がした。

いい伝記を読むことは、美術館で画家の回顧展を見ることに似ている。

438

くわばら、くわばら。

これも死語。祖母のアイが使っていた。

弘化4年3月24日、信濃に大地震が起きた。死者、2486人。
さっそく、江戸のはやり唄が、この地震をとり込んで、

わたしゃお前と 信濃の地震 揺れば割り(割れ)出し 死にまする
唾つけなんせ 前は稲荷山 火になる水になる 床の海
あとの話は 寄る(夜)のこと 買わ(皮)なきゃひとつの丹波縞
評判となり 近所はうろたえ あわてて耳ふさぐ
桑原じゃ 桑原じゃ

もともと「くわばら、くわばら」は、雷よけのおまじない。
なにしろ、地震、雷、火事、親父がこわいものの代表だった時代である。今では父親なんぞこわがるやつは誰もいない。

437

天保銭。

天保6年10月から鋳造されたという。裏側に当百とあって、百文(もん)に通用したが、ペルリ来航からの物価騰貴で、貨幣価値が下落した。

一つとせ  人のほしがる 当百(とうひゃく)も
今じゃ 世間にいやがられ この 天保銭

二つとせ  ふびんなことには 百銭が
百で世間がわたられぬ この 天保銭

これは、一つとせ節(ぶし)。
ここから・・・世間並みでない、ちょっと足りないやつ を「天保銭」というようになった。
私の少年時代には、まだこの「天保銭」が実際に使われていた。
「あのヤロ-、天保銭のくせしやがって」とか「なんでぇ、この天保銭!」といったいいかただった。

戦争がはじまってからは、「天保銭」は別の意味をもったが思い出す必要もない。

436

ビデオ・リサ-チの「テレビ・タレント/イメ-ジ調査」の結果が発表された。

1  仲間 由紀恵
2  DREAMS COME TRUE
3  天海 祐希
4  山口 智子
5  松嶋 菜々子
6  久本 雅美
7  小林 聡美
8  黒木 瞳
9  深津 絵里
10  優 香

まあ、一般の人気はこんなものだろうなあ。
さて、歳末の私も、2006年の「ごひいきタレント」ベスト・テンを選んでみよう。私の毒断と変見によるものだから、まるっきり違うものになるのは仕方がない。

1  涼風 真世
2  チョン・ドヨン
3  長谷川 京子
4  上野  樹里
5  ソン・イェジン
6  ミ-シャ・バ-トン
7  渋谷 飛鳥
8  ジョデル・フェルランド
9  半井 小絵
10  ジョ-ジ-ちゃん

それぞれを選んだ理由はあるのだが、ここでふれる必要はない。
ジョ-ジ-ちゃんは『ナルニア国ものがたり』の女の子。今年のチェ・ジウがいい作品に出ていたら、当然、トップにくるのだが、「連理の枝」では残念ながらあげるわけにはいかない。半井 小絵はNHKの気象情報を担当している気象予報士。ほかに、つい最近、医療保険「EVER」のCMに出ている女の子に注目しているのだが、名前がわからない。(あとで知ったのだが、朝ドラに主演していた宮崎あおいというそうだ。)
私がビデオ・リサ-チの選ぶメンバ-にほとんど関心がないことはわかってもらえるだろう。
きみは私のリストから何を読むだろうか。

435

日本に、食料の輸入が途絶した場合・・・1食分は、普通の10分の一から5分の一の量、1食は約113キロカロリ-として、1人あたりのブタ肉が、約10グラム。
ご飯やジャガイモなども、ほんの二口か三口で食べてしまう、という。

こうした「現実」が、たとえシミュレ-ションにせよ、「仮想的」ではなく「蓋然性」のつよい「問題」として農林水産省が発表したことに注意すべきだろう。

私は警告しておきたい。こんなものは、あくまで数字の問題であって、実際の飢餓は、こうした数字ではけっして想像できないということ。
第二次大戦の末期から、敗戦後の飢餓を知っている人なら、「ご飯やジャガイモなども、ほんの二口か三口で食べてしまう」どころか、ほんの二口か三口で食べてしまうほどのコメの配給もとだえて、飢えに苦しんだことをおぼえている。
おコメのかわりに脱脂大豆が配給された。これは、大豆をしぼってアブラをとった残りで、ブタやニワトリの飼料になるものがアメリカの緊急援助で配給されたのだった。
主食のかわりに、ザラメ(砂糖)や澱粉だけが配給されたこともしょっちゅうだった。
こうなると、闇(ブラックマ-ケット)に頼らなければ生きて行けない。いちじるしいモラルの低下が起こり、人倫上、かならず道徳的な頽廃をともなう。

必然的な結果として、凶悪な犯罪が増加し、金融システムは崩壊し、通貨インフレ-ションによって、国家の政治・経済はみるみるうちに破綻にむかうだろう。
私がゾッとするのも当然だろう。

もう一つ、ゾッとすることがある。
シミュレ-ションというものは、すべてものごとを過度に単純化するものだということ。なにかのシミュレ-ションを眼の前にしたとき、自分のもっているイメ-ジを、極度に正確にまで押し進めてみよう。そうなると、そのイメ-ジに、自分の感性や、知識が、どういう性質のものなのか、よくわかる。

434

ゾッとした。

2015年、日本に食料の輸入がすべてストップしたら。農林水産省が発表したシミュレ-ションでは、
主食のコメが、朝食・夕食 それぞれお茶碗に1杯だけ。ただし、これは理論上のことで、実際の朝食・昼食は、ジャガイモ、サツマイモが代用食。
お味噌汁は、2日に1杯だけ。
おかずは、夕食に、焼きサカナが一切れ。
肉は、9日に一度。
タマゴは、1週間に1個。
牛乳は、6日に、コップ1杯。

ゾッとした理由は・・・この予測は、日本の食料の自給率が、現在の40%から45%にふえたという仮定が前提になっていること。
ある小学校では、子どもたちに「飢餓でくるしむ国の人々とおなじ量の食事をする」体験学習を行っている。      → (’6.9.16.「読売」16面)
1食分は、普通の10分の一から5分の一の量、1食は約113キロカロリ-として、1人あたりのブタ肉が、約10グラム。
ご飯やジャガイモなども、ほんの二口か三口で食べてしまう。

こうした「現実」が、たとえシミュレ-ションにせよ、「仮想的」ではなく「蓋然性」のつよい「問題」として農林水産省が発表したことに注意すべきだろう。
私たちは、いつこういう状況にさらされても不思議ではない。そう聞かされれば誰でもゾッとするだろう。
だが、私がゾッとしたのは、もう少し違うことなのだ。    (つづく)

433

現在、世界には57億に近い人間がいて、今世紀の終わりまでには毎年、平均9百万の率で増加している。国連の専門家たちの試算では、2050年には現在の倍ないし百億に達する、とか。
人口は、世界のある地域ではほかの地域よりも急増している。1990年から2050年の人口増加の97%は、こんにちの発展途上国にあらわれる。もっとも急増している大陸はアフリカで(3.2%)、ラテン・アメリカは(1.9%)。アジアは三番目で(1.8%)である。しかし、アジアの現在の人口はすでに、今世紀末までに、各大陸の総人口よりも多い。


人口の急増がもたらすもっとも緊迫した問題は、食糧不足である。毎年、多数の幼児に食糧が必要になるが、現在の人口は大きな比率で、十分、かつ適性な食物をとっていない。最近の数年間、食糧の総生産量は増大しているが、もとより一人当たりの食物の量はそれ以上にいちじるしく少なくなっている。
別の問題としては、急激な人口増加が、とくに発展途上国に見られることである。すでに述べたように、いまやこうした急速な人口の増加を見せている国に生きている人々のほぼ半数は十五才以下なのである。こうなると、成人は子どもたちの必要をみたすためにさらに苦しい労働をしなければならない。学校や教師も不足しているし、病院、医師、看護婦も十分ではない。農業用地(耕地)は少なくなり、その結果、田舎の人たちはよりよい生活条件を探そうとして都会に移動する。しかし、都会は住居が払底(ふってい)しているため、あらたにやってきた人々はゴミゴミしたスラムに住む。最後に、仕事があまりにも少ないため、失業者(未就業者)は貧困に陥ってゆく。
それでは、(直訳・・人々はなぜ、より少ない子どもをもとうとはしないのか。)子どもを少なくしない理由は何か。これにも、それなりの理由はある。


先進国の統計は、出生率が低下し始めると生活水準が高くなることをしめしている。しかしながら現在の発展途上国では、さまざまな理由から、適切な社会福祉や老齢年金も整備していないし、人々は預金できるほどの収入もない。その結果、老人になったとき子どもたちに生活をささえてもらうという保証を期待している。そして、子どもたちはひどく低年齢からいろいろと生活をささえる仕事をする。いいかえれば、大家族は保険というかたちなのである。
発展途上国の人々は、子どもを少なくすることを考えるより先に、将来のよりよい条件のはっきりしたしるしを見届けようとする。しかし、人口増加率を低く抑えないかぎり、彼らの条件は改善されない。こうしたおぞましいサイクルを打破するためには、ひろく家族計画の導入こそが必要であって、これは(生活)態度の基本的な変化を意味する。
世界の急速な人口増加は、発展途上国だけではなくさまざまな問題を生じている。全世界がその影響を感じている。(鉱物、木材など)原料は生産が涸渇(こかつ)し、食糧は人口増加をまかないきれない。世界の資源・・食糧、燃料、土地・・に対する発展途上国の人々の要求はますます重くなって、さらなる汚染の原因になる。アメリカで生まれる子どもは生涯に、インドで生まれる子どもの三十倍の資源を消費する。
全世界の各国が、人口爆発にたいして共同の歩調をとらないかぎり、より少なくなる土地、食糧、燃料をめぐって争いあって、未来はわれわれ全体に貧困と、悲惨と、戦争をもたらすだろう。

ゾッとする。

432

最初のキスなんて、ちっともロマンティックじゃなかったわ、と彼女はいった。

空襲の被害はうけたが、その付近は焼け残ったらしく、牛込のその界隈には屋敷がいくつか並んでいた。その屋敷町の裏側の細い路地に入ると、片側はセメントの塀がつづいていた。この路地の先に、旧陸軍の練兵場があって、木々の繁みの間から小さな丘になる。戦後は払い下げ用地に指定されていたが、まだ放置されたままで、街灯もなく、暗闇の草むらや木立の影に若い恋人たちがまぎれ込むのにかっこうの場所だった。
暗がりを歩いてゆくと、雑草の窪みにぼうっと白い肌をはだけた女の上に黒い影が押しかぶさっていたりする。誰もが人目につかない場所をもとめてやってくるようだった。
木立のなかで、それまで抑えていた衝動につき動かされるように、いきなり腕をのばして康子の肩を引き寄せた。
「だめよ、こんなところで」
康子はあわててもがいた。しかし、はげしいいきおいで抱きしめられると、もう抵抗することができなくなった。あたたかく濡れた唇が、康子の唇にふれてきた。
そのとき、康子は眼を閉じていた。身体じゅうの神経がざわめいて、おののくような感覚が全身に走った。
キスがこんなになまなましいものだとは、このときまで知らなかった。
ただ、木陰で不意に抱き寄せられたため、木に背中を押しつけたまま不自然な姿勢になっていた。康子は、そのまま少しづつ背中ごとからだを落とした。
根元の草むらにずるずる腰を落としながら、自分から彼の舌を吸っていた。男は草の上にやわらかく康子を押し倒すと、自分も横になって腕にかかえ込み、はげしい息づかいで唇を重ねていた。

彼女は闇のなかで遠く新宿の空が明るく輝いていたことしかおぼえていなかった。

431

私の好きな辞世、絶命詩、絶命のことば。いろいろある。

室町時代の連歌師、山崎 宗鑑は、

宗鑑は何処へと人の問ふならば ちと用ありてあの世へといへ

為長 春水(二世)は「春水梅暦」の作者の弟子だが、

皆さんへ さていろいろとご苦労さま お先へ参る はい さようなら

江戸後期の滑稽本の作者、式亭 三馬(1776~1822)は、

善もせず 悪もつくらず 死ぬる身は 地蔵もほめず 閻魔叱らず

どうせくたばるなら、こういう辞世を詠んで死ぬほうがいい。

430

奥野 他見男を知らない人でも、「雨の降る日は天気が悪い」とか、「高い山から谷底見れば」といったフレ-ズに聞きおぼえがあるかも知れない。これらは奥野 他見男の代表作の題名である。
今の私が奥野 他見男を読むのは、戦前の日本人の日常にあった社会的な通念や、大不況のなかで崩壊してゆく日常的な decorum が、それなりに描かれているからである。作家自身は何も考えずに書いているのだが、昭和初年の小市民の哀れな姿や、内面の貧しさが見えてくる。その意味で、私にとっては忘れられない作家のひとり。

この作家は、俗謡や、格言、洒落、地口などを多用している。

万延頃に流行した「はねだぶし」に、

曇らば曇れ 箱根山  晴れたとて お江戸が見えるじゃありゃせまい
こちゃお江戸が見えるじゃありゃせまい
こちゃかまやせぬ ソレ かまやせぬ

文久の「はんよぶし」は、

わたしとお前は お蔵の米よ
はんよ いつか世に出て のろ千代さん ままとなる
したこたないしょ ないしょ

この千代さんは、渋谷、宮益坂にあった千代田稲荷。
文久三年、徳川 家茂が上洛した。その留守に、江戸城本丸の年寄、滝山の部屋で法科事件が起きた。このとき、千代田稲荷の神使(つかわしめ)であるキツネが、女の声で急を知らせて飛び去ったという。
幕末の不安な社会心理がうかがえるのだが、今なら「ヤマンバさん ママになる」と変えたほうがいいだろう。したこたないしょに変わりはない。

奥野 他見男のテ-マは、かんたんにいえば何があっても「こちゃかまやせぬ」というノンシャランス、「したこたないしょ」という、くすぐりにもとずいたエスケ-ピズムで、昭和初期の暗い、かなり不安な気分にマッチしたものだった、と見ていい。

奥野 他見男を読んでいて、昭和のナンセンスが、隔世遺伝的にお江戸の俗謡や、流行語にむすびついているのではないか、と思った。私にとっては思いがけない論点になりそうな気がする。

429

奥野 他見男が湯河原に行った理由は、彼が作家として一種のデッドエンドを意識していたことにある。

「既に己(お)れは箱根を知り、修善寺を知り、然して遙か伊東温泉まで行った者が、近くの湯河原に行ったことが無いとは何んだか自分の手落ちらしく思はれ出した。」
そこで、たちまち湯河原行きを決心する。(ここまで朝食前に書いている。)

国分津から電車、さらに軽便鉄道で湯河原に向かうのだが、「間ァ何んて汚い小さい汽車だらう、乃が一体汽車と云ふ名称を付けられる丈けの資格があるんだらうか、全(まる)で箱だ、否(いな)全で安永年間に出来た様な汽車だ。」と、作家は苦笑する。
湯河原に着いたのが午後7時頃。ここで、乗合の自動車に乗ると、以前、一度だけ紹介されたことのある「若くて而かも美しき女!」が同乗しているではないか。

その令嬢が泊まる宿屋にきめて、「今まで亀の背中に載ってゐた様な鈍い汽車に揺られてゐた」ような小説は、ようやく快調に展開する。しかし、ほんとうはここから作家はきゅうに表現を抑制しはじめる。

あらためて、『芳子さん』を読んで、この作家が非常な人気を得ていた理由が、いくぶんわかったような気がした。
作家が自分の生活を即時的に書く。身辺雑記なら別にめずらしくない。現代の作家ならブログという表現手段がある。だが、昭和初年に通俗小説を同時進行のかたちで書き進め、しかも執筆の経過を刻明に記録しているのはめずらしい。
このことは、当時の奥野 他見男の絶大な人気、流行作家に対する世人の関心の大きさを物語っているだろう。

佐々木 邦に十九世紀イギリスの少年小説の余香がひそむとすれば、奥野 他見男には江戸の滑稽本、たとえば十返舎 一九の『膝栗毛』などの流れ、さらには万延頃に流行した「はねだぶし」、文久の「はんよぶし」、明治の「世の中開化ぶし」などのエスプリが見られる。そのユーモアが、明治、大正の家庭小説と野合したもの、と見ていいかも知れない。

流行作家として読まれながら、今はまったく顧みられない作家を読む。何ひとつ得られるものはないが、作家の運命を考える。
(つづく)