小学校まで歩いて5分。土樋から荒町まで。
通学の途中、かならず眼にするものがあった。活動写真のポスターである。横町の角の壁にとりつけられた木枠のなかに、その週に上映されている映画のポスターが映画館の数だけ貼られている。外国映画が2館。日本映画が4館。
毎週、貼り変えられる。ポスターのうえに新しいポスターが貼りつけられるので、それぞれがかなりの厚みになっている。
雨に濡れて、今週のポスターが剥がれて、前のポスターが見えたりする。
行き帰り、毎日、おなじポスターを見ているわけだから、活動写真の題名や出演者の名前もおぼえてしまう。
実際にはその活動写真を見たことがないのに、ポスターに描かれているシーンや、男女の姿が心に残った。
大河内 傳次郎、阪東妻三郎、嵐 寛寿郎といったスターだけでなく、浅香 新八郎、ハヤブサ ヒデトといった名前や、伏見 直江、入江 たか子、山路 ふみ子、森 静子といった女優の名前もおぼえてしまった。
昭和6年、満州事変が起きた。翌年、上海事変。その二月に、井上 準之助、三月に、団 啄麿、五月に犬養 毅首相が暗殺されている。
私は何ひとつ知らずに、毎日、活動写真のポスターを見ていたのだろう。
その頃に見た映画。内容もまったくおぼえていないのだが、最後に男と女が心中する悲劇を見た。題名もわからない。塩釜の活動写真館で見たことだけはおぼえている。
幼い私には映画の内容も理解できなかったのだが、なぜか暗い気分になったことだけはおぼえている。男は河津 清三郎、女は高津 慶子。
おなじ頃、私にとって、どうにも理解できないポスターがあった。「メトロポリス」という映画のポスターだった。
金属製の巨大なアンドロイドが、無表情に私を見つめている。その人形が女だということはわかるのだが、そのまなざしに見られるだけで死んでしまうような気がした。それは、はじめて知った実存的な恐怖ともいうべきもので、自分が死にいたる存在なのだということを知らされたような気がした。
そのポスターを見るのがこわくて、その学期、わざわざ遠回りをして、学校に行くようにした。電車の停留所ひとつぶんだけ遠くなるのだった。
こうして、「メトロポリス」という題名が心に刻みつけられた。
ずっと後年になって、これがF・W・ムルナウの無声映画で、1926年の作品だったことを知った。私がこのポスターを見たのは1930年の後半だったから、当然、リヴァイヴァル上映だったに違いない。
このポスターに幼い私は恐怖をおぼえたのだった。
はるか後年、DVDで「メトロポリス」を見た。少しも怖くなかった。