夏から秋、マリ-・ルイ-ゼ・カシュニッツの短編をいくつか読んだ。
ロンドンのオ-ルドヴィックで『リチャ-ド二世』を見たときのこと。結婚して6年目の夫婦が劇場に行く。妻はたちまち芝居に惹きこまれるのだが、夫は舞台にまったく関心がなく、聞こえてくる台詞にも上の空で、前列の席にいる若い女に眼をうばわれている。妻は、夫が美しい女性やわかい娘を眺めるのが好きで、自分からいそいそと彼女たちに近づいて行くことを知っているので、べつに嫉妬は感じない。
幕間に、席を立った夫妻の前を、その若い娘と、透きとおるような蒼白な顔をしたつれの若い男がとおり過ぎてゆく。娘の手からレ-スのハンカチ-フが落ちて・・
これ以上、作品を紹介するわけにはいかない。まるで十九世紀のロマンスめいて、古風なイントロダクションに見える。だが、私はこの短編『幽霊』のみごとさに驚嘆した。これまで読んだ短編のなかで、ベスト20に入れてもいいほどに思った。
怪奇/幻想をモチ-フにした小説に関心をもってきた。理由のひとつは・・・ホラ-小説というジャンルは、小説ほんらいの想像的な形象をもっていると信じたからだった。しかし、マリ-・ルイ-ゼ・カシュニッツの短編はホラ-小説ではない。
生きて在ることに、ふとやってくる何か説明のつかない怖れ。ふだんはまるで気がつかないが、おのれの内部にひそんでいて、何かのことがきっかけで、いきなり姿をあらわす不安。それがカシュニッツの短編に見られる。
彼女もまた若くして地獄を見てしまった作家ではなかったか。私が関心をもつのは、そのあたりのことなのだ。
ただし、全部がみごとな短編というわけではない。『白熊』などは、あまりに頭脳明晰な作家にありがちな計算違いが見られて、この作家の弱点が見える。
アナイス・ニン、ア-シュラ・ヒ-ジ、シャンヌ・ロランスなどに惹かれるのも、そのあたりのことがあるのではないだろうか。
(ただし、原題“Gespenster”を『幽霊』と訳すべきだろうか。)
(つづく)