1924

読みたい本はいくらでもあるのだが、図書館は休業。古書店は廃業。なにしろ暇なので、コロナ・ウイルスの猖獗(しょうけつ)をよそに、明和の川柳を読みつづけた。

いや、むずかしい。ほとんどが、わからない。当時の世態風俗を知らないし、典拠も見当がつかない。それでも、一句々々、ゆっくり読んで行く。まるで、散歩や、ジョギングのようなものだが。

    一生けんめい 日本と書いて見せ

こんな句にぶつかると、18世紀、明和の頃に、すでに日本という国家観念が庶民に理解されていたのだろうか。「あふぎ屋へ行くので唐詩選習ひ」という句があるところを見れば、ごくふつうの庶民が中国を意識していたことはまちがいない。そういえば、「紅楼夢」はいつ頃から日本で読まれたのか。そんなことまで考える。これまたまったくの暇つぶしだが。

    日本へ構ひなさるなと 貴妃はいひ

三韓の耳に 日本の草が生え     松 山    (文化時代)

日本の蛇の目 唐までにらみつけ   梁 主    (文化時代)

日本では太夫へ給ふ 松の號     板 人    (文政時代)

東海道は日本の大廊下        木 賀    (文政時代)

江戸の、化政時代の文化も私の想像を越えているのだが、川柳のなかにも、役者の名が出てくる。
それぞれの時代を代表する海老蔵、歌右衛門、三津五郎、路考、菊五郎、宗十郎、彦三郎、田之助、半四郎、小団次たち。当時、こうした役者がぞくぞくと梨園に登場してくる。ただし、それぞれの役柄、芸風など、私には想像もつかない。
こうした名優たちの名跡の大半は、今に受け継がれている。だから、今の海老蔵、三津五郎、菊五郎たちと重ねて、それぞれの役者が、かくもありしか、と思い描く。

演劇史的には――文化・文政時代になって、現在の歌舞伎のコアというべき型、口跡がほぼ完成される。
はじめこそ芝居も猥雑なものだったに違いないが、やがて、それぞれの芸風も洗練されて、すぐれた劇作家もぞくぞくとあらわれる。

歌舞伎を見なくなったが、それでも、前の海老蔵の団十郎襲名にあたっては、見たこともない五代目(後の白猿)や、水野越前の改革で、江戸を追放された七代目の故事を重ねてしばし感動したものだった。

そういえば、「スーパー歌舞伎」の市川 猿之助が、この6月、歌舞伎座で、「日蓮」を上演している。
戦乱、天災、飢饉、疫病という混乱をきわめた時代に、比叡山で修行を積んだ日蓮が、法華経をひろめるために下山する。そして、天台宗の開祖、最澄に会うというタイム・スリップものらしい。
このときのインタヴュ-で、猿之助が語っている。

実在した人物を演じる時には、ゆかりの地に赴いて報告するという。
「もし何百年後に4代目猿之助の芝居をやる時には、礼儀として(自分の墓に)あいさつにこいよ、と思いますね」

いいことばだなあ。