1912 〈少年時代 5〉

たとえば 幼年時代、少年時代に出会った人びと。

そのほとんどがもはや記憶に薄れている。

しかし、その人たちのことを思い出しているうちに、あらためて自分が過ごしてきた時代がどういうものだったか、そんなことを考えるようになった。

私の人生は、それなりに変化があったし、ほんの少しにせよ本人にとって興味のあることはあった。今にして思えば、私の生きてきた時代、あるいは環境に大きく影響されてきたといってよい。
コロナ禍という想像もしなかった事態のさなかに、幼かった自分のことを思い出すというのは、なんとも悠長な話だが、これも老いさらばえた身なればやむを得ない。何もしないよりは、もはや記憶が薄れて、日頃、考えもしなかったことを思い出すほうがいい。

たった数分の時間、私は自分の心にうかぶ幼い頃の私の記憶、とりとめもない思い出を書くためだけに生きているようなものだった。その時間はコロナ禍のことも気にならなくなった。
わずか10分から30分の時間でよかった。それでも、私はこの時間のうちに、世間の人の24時間分以上の、生きがいを感じたのだった。

とりとめもない思い出ばかり。誰も読んでくれないかも知れない。それでいいのだ。