1911 〈少年時代 4

コロナのおかげで――暇ができた。
これまで時間がなくて放置していた書きかけの原稿を整理したり、焼き捨てたり。
これまで考えたこともないことをじっくり考えたり。

それにしても、コリン・バレット、オイズル・アーヴァ・オウラヴスドッティル、あるいは、ショーン・タンといった作家たちは、今の今、コロナの蔓延のさなかにどういう小説を書いているのだろうか。そういう、まことに素朴な設問が心にうかんできた。

こういう設問自体が、ひどく単純なことではないか、という気がした。
アメリカ人、アイスランド人、フランス人、日本人、オーストラリア人、おそろしく単純なことなんだ。文学なんて。コロナも。

思わず苦笑した。その笑いのなかには、いろいろな病気で明日にもくたばりそうな老人が、最後の最後になってこんな単純なことに気がついたという、阿呆らしさを笑うことも含まれている。しかし、自嘲をふくめてこういう笑いを笑う自分が楽しかった。

さて、もう少し何か書いてみるか。もとより田舍翁(でんしゃおう)のTedious Talk にすぎないけれど。

タイトルは田舎翁目耕記としようと思ったが、あえて反時代的なタイトルでもあるまい。ならば田舎翁妄語ぐらいでもいいと思って書くことにしよう。