イザベル・ディノワ-ルというフランスの女性が、顔をイヌに咬まれて重傷を負った。この女性は、15時間におよぶ顔面移植手術で、まったく別人の顔になった。執刀医は、J・M・デュヴェルナ-ル。(06.2.7)
イザベルさんは、まだ唇の機能が回復していないようだが、それでも生きる希望をとり戻したようだった。
ジャ-ナリズムの一部は、被手術者の身辺を洗って、日頃、薬物におぼれていたとか、もともと自殺願望があった、などと報道した。そんな女だからイヌに咬まれたのも当然、そんな女に顔を移植してやる必要はなかった、というような冷嘲をあびせている。
どこの国にも、陰湿な手口で、大衆の低俗な好奇心をあおる連中がいる。
このニュ-スを見て、私がまず考えたのは・・・拒絶反応や、免疫抑制といった問題はどうなのか。半年か一年たてば顔面の機能が完全に戻っているのか。リンパ系の異常や、骨の壊死などが起きないのか。素人の私でもそのくらいは考える。
顔に重度の傷をうけた女性が、あたらしい顔を得て、あたらしい人生を歩んでゆくのだから祝福すべきことだという立場もあっていい。
アイデンティティ-の移植ではないからである。心臓移植となんら変わらない。
この手術は生命倫理に反したものではないのか。
個人の倫理よりも医学の進歩を先行させた。科学万能の思想がますますはびこる。
そう考える人もいるだろう。
私は新しい顔になったこの女性が幸福になることを希望する。それは素直によろこんでいい。ただ、ことは心臓移植と少し違った次元の問題になるような気がする。じつはむずかしい「設問」が待ちかまえているような気がする。
それは生命操作がはたして人間を幸福にするかどうか、人間を幸福にするとしてはたしてどこまで幸福にするかという問題になる。
私たちには、いずれすべてのことが可能になるだろう。
ヴァレリ-ふうにいえば・・・人間は自分の顔を他人の顔と変えるかどうかをみずからに問いかけるために生きなければならなくなる。(笑)。