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 明暦の大火。
江戸市中が猛火につつまれ、数万の民衆が焼死するという惨事だったという。この災害の犠牲者のために、両国の回向院が建てられている。

このとき、焼け出された人が国許(くにもと)に送った手紙がある。読みやすくするために、平易に書き直してみよう。

近年、大身(たいしん)の人々はもとより、私ども、または下々の
者まで、皆、五十余年の大平(泰平)になれて、浮薄に流れ、
驕奢(きょうしゃ)に長じ、分に過ぎたる栄耀をこととしている。
したがって財宝足らざる故に、自然に、上(かみ)は民百姓に
むさぼり、下(しも)はたがいに相むさぼる、このたびの大変
(たいへん)はじつに天罰である。天道(てんどう)よりまことに
よき意見を受けたのである。
ついては人を翻然(ほんぜん)として、積年の非を悔いあらため、
まず真の士風俗(さむらいふうぞく)に復すことに、一統努力
するほかはなかろう。

江戸文化の研究家、三上 参次は、この手紙にふれて、

今日(こんにち)も明暦の昔とおなじように、感慨無量、長大息
する人が少なくないことと思う。この手きびしい意見、この峻烈な
る天罰を、七千万日本人の身代わりとして引受けられた幾万の同胞
に対して、深厚なる感謝の意を表したいというのはこの意味に
外(ほか)ならないのである。

という。
これを読んだとき、私は日本人の心性はまったく変わらないのだという感慨をもった。
じつは、私は東日本大震災が起きた瞬間に「このたびの大変はじつに天罰である」というふうに感じた。そして、私たちが「皆、五十余年の大平(泰平)になれて、浮薄に流れ、驕奢(きょうしゃ)に長じ、分に過ぎたる栄耀をこととして」きた代償として、大震災が起きたという意見を眼にした。
しかし、私としては――この災害を「天よりまことによき意見を受けた」などと考えない。もとより私たちの無数の誤謬、過失、失策の結果として、この惨状があると見て、ただ謙虚に、わるびれずに、この事態をわれとわが身に引きうけるべきだろう。

福島原発について、NHKのニュースは、いつも「深刻な事態に見舞われている福島原発」という形容をつけていた。これは、4月になってから、この形容はつけなくなったが、いつもおなじ形容、修飾語を重ねることで、かえってクリシェとして、空虚に響いたのではなかったか。