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2010年が終わろうとしている。
例年のことながら、私の身辺にもさまざまなことがあった。
そうした哀歓に私はおろおろしながら向きあってきた。ただ、黙って対処してきただけのことであった。
おかしなもので、わるいことがふりかかってくると、それを上回るようないいことがやってくる。人間万事、塞翁が馬。そう心得て生きるしかない。

かつて私は書いた。

「青春というものは、ある意味では、ながい模索の時期でもある。たとえば、自分の周囲をおしつつむすべてのものを理解しようと努め、それができないときに不安におそわれ、なかなか前に進めない状態。
 私自身にしても、自分の過去をふりかえってみると、未決定の将来に対して、ある野望をもち、しかも、その実現をはばまれているといった時期に、何度遭遇したことだろう。
 また、たとえば愛。
 自分の過去をふりかえるとき、その追憶の入口に大きく立ちふさがって動かない女たち。
 私の青春のはじめに、この現実の意味を痛切に思い知らされた女たちについての、くるしい模索があった。」

これは、私がやっていた演劇グループの公演のパンフレットに書いた文章の一節。
半世紀後の私自身が、おなじ思いで生きていることに気がつく。滑稽というか、哀れというか。

2010年は、私にとって「くるしい模索」のつづいた不幸な年だったが、あらためておのれに許された幸福に感謝したい年でもあった。

2011年が、どういう年になるかわからない。ただ、自分にできることを少しずつ実現してゆく。眦を決して、というのではなく、ただ自然に生きてゆく。

このブログを読んでくださっているみなさんに心からの挨拶を送る。