1919年。
第一次世界大戦が終わった直後。
当時の活動写真は、チャップリンが「ミューチュアル」を離れて、「犬の生活」からはじまるあらたな喜劇を創造する。一方、「アメリカの恋人」、メァリ・ピックフォードが、すでに登場している。前年、はじめてのターザン映画が登場して、エグゾティックな冒険活劇から動物映画まで、活動写真の可能性がひろがっている。
この年、敗戦国、ドイツでは、ベルリンに高価な映画館「ウーファ・パラスト」が出現している。
1919年、シカゴ。
ある映画関係の公聴会で、医師が証言した。
映画を見る人は、ノイローゼ、あるいは舞踏病を起こす可能性が大きい。
委員の質問に対して、
映画は観客の視覚をそこなうばかりか、間違いなくメガネの使用者がふえる。しかも、夜遅く映画を見に行くのは、必要な睡眠をへらして、人体に有害な結果をもたらす。何年にもわたって、映画を見つづければ、ノイローゼから器官に変調をきたす。
これに対する有効な処置はまったくない。
と、証言した。
そうだったのか。私が近眼になったのは、映画ばかり見てきたからだったのか。
しかし、私の知っている映画評論家でも、飯島 正、植草 甚一さんは、メガネをかけていなかった。映画監督だって、メガネをかけていない人は多い。
私の場合、夜遅く映画を見に行っても、ぐっすり眠れたし、かりに睡眠時間をへらしても、あまり有害な結果は出なかったような気がするね。
映画を見つづけたからノイローゼになったという気もしない。器官に変調をきたしたとすれば、もともと頭がわるかったせいか、ますますボケてきたぐらいか。
この医師は結論づけている。
映画を見る若者たちは、精神的に怠惰になってしまう。ゆえに、若者たちにはできるだけ映画を見せないほうがいい。
昔からこういう議論があきもせずくり返されてきたことが・・・私にはおもしろい。
それで思い出すのだが・・・私が中学生だった頃は、映画を見に行っただけで、停学、わるくすると退学処分になる、と脅かされていた。ところがどっこい、悪童どもはけっこう映画館に出没していた。
中学の校庭の隅っこで、三、四人の少年が、めいめい、自分の見たチャップリン、キートン、ジーン・アーサー、ディアナ・ダービン、そして高山 広子や、高峰 秀子の映画を語りあっていた。日米戦争がはじまる直前の風景が、今の私に幻影のように蘇ってくるのだが。