名訳がある。と、かならずそれを越えようとする名訳が出てくる。ただし、大学の文学部の先生などが小説を訳すとどうしようもない名訳ができあがる。
ほんとうの名訳はどういうものか。
ある短編の書き出しの部分をみよう。
「巴里は包囲され、糧道を断たれ、気息奄々としてゐた。屋根の上には雀も殆ど姿を見せず、下水の鼠もだんだんに絶えていった。人々はなんでもかまわず、捕って喰ふといふ有様だった。
一月のある明るい朝、乗馬ズボンのカクシに両手を突っ込み、腹をすかして、場末の通りをしょんぼりとさまよってゐた彼、本業は時計屋で、時節がら閑人(ひまじん)の仲間入りをしてゐたモリソォ君は、これも同じやうな風軆の男の子とぱったり行き遭って、足をとめた。見覚えのある顔だと思ったら、やっぱりその友達だった。ソォヴァージュ君といって、河で知合いになった男である。」
モーパッサンの「二人の友」の冒頭の部分。岸田国士訳である。悠揚迫らぬ筆致ながら、さすがにめりはりのきいた訳になっている。
おなじ部分を青柳瑞穂訳で比較してみようか。
「パリは包囲され、飢餓に瀕していた。屋根の雀もめっきり減り、下水の鼠もいなくなった。人々は食べられる物なら何でも食べた。
一月のある晴れた朝、本職は時計屋だが、時局がら、閑人になったモリソオさんが、普段着のズボンに両手を突っこみ、腹をすかせながら、場末の大通りをつまらなさそうにぶらついていたが、これも同様お仲間らしい男とばったり出会って、足をとめた。見おぼえのある顔だと思ったら、やっぱりそうだった。ソオヴァジュさんといって、河での知り合いであった。」
読みやすい。岸田訳はもう半世紀以上も前の訳だけに、やはり古色蒼然たる趣きがある。これに較べて、青柳訳は昭和四十年代の訳で読みやすい。このあたり、現在の日本語の変化の大きさ、原作と翻訳のズレといった問題が伏在している。
最近、昭和三十年代に出たドリュ・ラ・ロシェルの翻訳を読み直したのだが、大学の先生の手になるものとも思えないほど拙劣な訳だった。
おかげで一日じゅう不愉快になった。