幕末に、江戸、吉原の遊女、桜木が、
露をだにいとう大和の女郎花(おみなえし)
ふるあめりかに袖はぬらさじ
という歌を詠んだ。
日本の女性の心意気を見せたという。
この歌は、横浜の傾城(けいせい)、花扇の辞世という説もあって、ちょっと信用できない。是枝 柳右衛門という人の日記によると、十六夜(いざよい)という下関の遊女が、アメリカ水兵と寝るのを拒否して、
かずならぬ身も日の本の女郎花
ふるあめりかに袖はぬらさじ
と詠んだという。
こうした歌に、遊女の真情があらわれていたにしても、当時の尊皇攘夷派が反アメリカ宣伝に利用したにすぎない。
ただ、幕末から日本人はいつもアメリカを意識しなければならなくなったのだった。