1957 〈少年時代 43〉

大不況のさなかに、祖母と過ごした塩釜は、幼い私にとって一種のテラ・インコグニタのようなものだった。
たとえば、プールの近くに、小さな芝居小屋、兼映画館があって、その映画館で上映される活動写真を毎日見ていた。日替わりではなかったが、上映される映画は夕方までのマチネーで、夜は芝居に変わるのだった。

活動写真は西部劇が多く、子どもでもよくわかるストーリーが多かった。保安官が、インディアンと対決したり、列車強盗や、砂漠のギャングたちと決闘する。
都市の映画館は、トーキーに転換していたが、塩釜の映画館は芝居小屋で、まだトーキーに対応できていなかったのだろう。
日本の活動写真で、高津 慶子のヒロインが、若旦那の河津 清三郎を愛しながら、最後に心中する、といった悲恋ものも見た。題名もおぼえていない。
当時のスター女優としては、栗島 すみ子がトップを切っていた。やがて、山田 五十鈴、田中 絹代が登場する。原 節子、高峰 三枝子、桑野 通子などはまだ登場しない。私が好きだったのは、ハヤブサ・ヒデトの連続シリーズだった。

私は、ときどき「新興キネマ」の女優、志賀 暁子(あきこ)、琴 絲路(いとじ)の悲劇を思い出す。「戦後」の日本だったら、まったく問題にならなかったような事件にまき込まれて、スクリーンから去って行った女優たちだった。