1934〈少年時代 20〉

清水小路の家の斜め前に、りっぱな門構えの洋館があった。
このお屋敷に若いお嬢さんがいた。当時、女学校の5年生だった。(「戦後」の学制なら、高2ということになる。) 断髪だった。セーラー服に長いスカート。いつも颯爽としたスタイルで通学していたが、小学生の私とは、登校時間が違うため、まるで接点がなかった。このお嬢さんの名前は覚えていない。

毎朝、私の通学時間に、女学生の彼女も門から出てきて、わずかな距離の路地(清水小路)を抜けて、表通りに出る。今のファッションとは比較にならないが、いつもグレイっぽいコートを着ていたような気がする。たいていはお互いに黙ったまましばらく歩いて、私は学帽をとってペコンとお辞儀をして彼女と別れる、私は、サージの通学服だったが、ズボンはバンドではなく、サスペンダー(吊りズボン)だった。私は、荒町尋常小学校に向かう。彼女は、私に手を振って見送ってくれる。

ときには、笑いかけてくれることもあった。すんなりと恰好のいい鼻すじ、うっすらとピンク色の唇、ほっそりとした首すじが、いかにも新しい時代の娘らしい美しさをみせていた。
梅雨どきなど、むし暑い空気のなかに、白いバラの匂いがかすかに漂うのも、なんとなく甘い感じをあたえた。
当時、仙台には、男子高としては、第二高等学校か、東北学院しかなかったし、女子高としての高等専門学校は一つしかなかった。むろん男女共学ではなかったし、仙台には女子大はなかったから、高等女学校を卒業した若い女性が進学するとすれば師範学校に進むぐらいだったのではないか。
彼女は近くの女学校を卒業して、宮城野女子高等専門学校(当時の短大)に進んだらしい。女学校を卒業してすぐに断髪(ショートカット)にしていた。
ある日、彼女が、私を呼び止めて、
「ぼうや、明日、わたしンとこに、遊びにおいで」
と、声をかけてくれた。

小学生の私は、自分よりずっと年上の女子学生が自室に呼んでくれたことがうれしかった。
どういうわけで私を呼んだのかわからない。私が小学校に入学したのと同時に、自分が上級学校に進学したので、ささやかなお祝いをするつもりで招いてくれたのか。
その日、このお嬢さんは、ティー・パーティーに同級のお友達を招いた。日曜日だったのか。あるいは、誕生日だったのか。