1916〈少年時代 10〉

バッタやイナゴ、トカゲ、カエル、ヘビ、アメンボ、ヒル、ミミズ、そうした自然界の生きものは、子どもの世界では、自分と対等のものと見なすか、どれもが超自然的なものと考えるようだった。私は馬が好きになった。

ある日、屈強な若者が数人、大八車に大きな臼を乗せて、町のどこかからやってきた。

威勢のいい掛け声をかけて、杵(きね)を振りあげて、黄色い餅をつく。つきあがった餅の固まりを長い紐の様に伸ばして、おおきな包丁で切りわける。
豆粒のような餅にきな粉をふって、すぐに竹串に刺す。
桃太郎のきびだんごと称して、一串、5厘(りん)ぐらいで売るのだった。

私は1銭銅貨をにぎりしめて大八車に駆け寄った。

桃太郎の話を母から聞いて育ったので、そのきびだんごなら食べないわけにいかない。

幼い胸に期待があった。

意外にも、味はまるっきりおいしいものではなかった。粟(あわ)と稗(ひえ)を蒸籠(せいろ)で蒸(ふ)かして、繋ぎに、もち米にわずかな砂糖をまぶしたものだった。

幼い私は、桃太郎がこんなものを家来のイヌ、サル、キジに与えたのだろうか、とうたがった。はじめて何かを疑うことを知ったといってよい。

やがて学校に通うようになって、子どもも考える。ゆえに、ときには存在する。