1915〈少年時代 9〉

木町末無(きまちすえなし)に住んでいた頃の思い出はほとんどない。

広瀬川に面した人通りは少なかった。ただ、すぐ近くのりっぱな武家屋敷の黒板塀と、その上を蔽って樹木の影が、往来のなかばを占めているようだった。その屋敷に、第二師団の参謀本部に勤務していた陸軍少佐が住んでいたことはおぼえている。

仙台は、第二師団が置かれて、軍国主義のさかんな土地だった。

毎朝、7時頃、下士官と馬匹係(ばひつがかり)の兵士、二、三名が、少佐を迎えにくる。少佐は乗馬したまま、第二師団の本部に出勤する。

夏になると、兵士が馬の行水(ぎょうずい)をすることもあった。私は馬の毛並みをととのえる儀式を見るのが好きだった。兵士のひとりが水道のホースで馬に水を当てる。ほかの兵士が雑巾で馬のからだを拭いてやる。馬は大きな黒い眼をさも心地よさそうに開いて、兵士にされるままになっている。兵士のひとりは、自分の持っている手綱を長く繰り出してやる。馬は鼻で荒く呼吸をして、たてがみを振って水を切るので、兵士も水滴を浴びるからだった。ときには、脈だった横腹から、湯気のような水蒸気が立ちあがる。
近所の人たちもときどきこの儀式を見物するのだった。

少佐の乗馬は朝早く行われたし、幼い私はこの時刻に起きられなかったことも多い。雨の日だったりすると出勤の儀式は見られなかった。

馬の準備を終えると、下士官が挙手の礼をとって、
「XX少佐殿、ただいまからXXいたします」
と報告する。
少佐が乗馬すると、馬上からこれもおなじように挙手の礼を返す。

幼い私は、ある日、下士官の動作をまねて敬礼をした。
すると、少佐は私を見て敬礼してくれた。

うれしかった。陸軍少佐が、幼い子どもの敬礼に挙手の礼を返してくれた。子どもながらにうれしかった。その日は一日じゅうはしゃぎまわっていたらしい。

ただし、幼い私が少佐殿に敬礼してもらったのは、このときだけだった。それからあと、少佐は、二度と、私に眼をくれることはなかった。
この敬礼のことは、あとあとまで記憶にのこったが、幼い心に別のことを教えた。幼い私は、いくら自分がのぞんでも叶えられないこともある、ということを知ったのではないか。

陸軍少佐殿は、子どもが心から尊敬をこめて挨拶しても、まったく受けつけてくれないものだ、という思いが心に刻みつけられた。こういう思いは、それからの幼児のまわりをしつこくうろついて離れなくなった。
子どもも考える。ゆえに、ときには存在する。