「ヘンリー・ミラーとの対話」
アナイス・ニンとは手紙のやりとりがあったが、私から何かについて質問をすることはなかった。むしろ、アナイス・ニンが、私にいろいろなことを訊いてくるので、返事を書いたといったほうがいい。
外国の作家に、手紙で何か質問をしようなどと考えたことはない。
その私が、ヘンリー・ミラーに短い質問を送ったことがある。以下に、その質問と応答を掲載する。
中田 耕治 :伺ってみたいことすべてを、ここに書きだすと、厚い一冊の本になってしまいそうなので、その中から、つぎの二つだけを選んで、お聞きしたいと思います。
質問A :二番目の夫人になられたジューン・イーディス・スミスと、出会ったとき、ファンム・ファタール的な女性に魅力をかんじていらっしゃったのでしょうか? 私には――あなたは、ずっと、自分の内的世界を探究し、それを見いだすと、その探索に務められていたように思われます。その世界に、運命の女性が住んでいることを知っていらっしゃったのでしょうか? アイーシャヘのなみなみならぬ関心は、ファンム・ファタールに、あなたが、強力な磁力、魅力を感じられるからでしょうか?
ヘンリー・ミラー :そう、そう、その通り。ファンム・ファタールだよ。ジューンに出会う前からね。だが、ちょっと待ってくれ。私の内的世界だって? いや、おれはそんなに自分について、自分の内面の世界について、知ろうとしていたとはおもわないね。そういうのには賛同しないんだ。たとえば、自己分析とかいうやつには、生涯ずっと反対だったな。何であれ、分析というものは嫌いでね。プロにやってもらっても。自分でやるのも嫌いでね。私にいわせれば、その結果はまったく意味をなさないナンセンス、あるいは混乱に行き着くだけだ。自分が誰か、何者か、なんてことは見極めなくともいい。あるがままの自分を受け入れればいい。だいたい、自分が何者か、なんてことが誰にわかるんだ? 創造主にさえ、わからないだろう。私はそう思う。すべてのものが、すべての人間が、生き物が、シラミもノミも、どんな動物もが、神にとってさえ不可思議な存在なんだと思う。私にとっては、すべてがミステリーさ。
だから、わからない。なぜ、ファンム・ファタールに惹きつけられるのか説明はできないね。感情があるだけだよ。どんな説明も真実ではないし、根拠も希薄だよ。この宇宙には説明できるものなど何一つない。完全なるミステリーさ。創造主にとってさえもね。(笑) 何故か? 智慧ある創造主なら、この地球のような世界を創造しなかっただろうからね。
アイーシャって、あの素晴らしい小説「彼女」のなかのアイーシャのことか?
ああ、読んだとも。私に大きな影響を与えた本だよ。いま、ビッグ・サーに住んでいる私の娘が女性作家の作品を読みあさっていてね、たとえば、マリー・コレリだが、彼女は私がいちばん愛読している女性作家だよ。アナイス・ニンは、この作家をくだらないとバカにしていたが、マリーはヴィクトリア女王の大のお気に入りの作家だった。たしかに、若い頃の私はああいうタイプの女に影響をうけた。そう、あのタイプだね。これからも、ずっとファンム・ファタールだよ。質問B :ちょっとおかしな質問ですが、輪廻転生ということを信じておいででしょうか? 仏教的な意味でも、ヘラクレイトス的万物転生という意味でも。あなたご自身の死後の転生を、あるいは、ふたたび生まれることを信じていらっしゃいますか?
ヘンリー・ミラー :私は、一生かけて、何かを信じることができるかどうか見極めようとしてきた。だが、信じることはできない。信じてはいけないのだ。信念は持つべきだが、信仰は無用だ。この両者には、微妙な違いがある。信念はある。すべてを、真っ向から受け入れる。だが、信仰はもたない。輪廻転生については何も知らない。いや、知っている。いろいろと話は聞いている。しかし、それについて、私が語ることはない。真実かどうか考えてもわからない。
中田 耕治 :死後、ご自身がどうなるのか、考えたことはおありですか?
ヘンリー・ミラー :死後のことは一切わからない。きみが訊きたい気もちはわかるけれどね。私は、そんなことは考えようとは思わない。バカげているよ、そんなことは。
この質疑応答は、ある雑誌に掲載された。折角の機会だったのに、くだらないことしか質問できなかった。しかし、ヘンリー・ミラーが答えてくれたことはうれしかった。
現在の私が、おなじような質問をうけたら、ヘンリー・ミラーと同じように答えるだろうと思う。
その後、ヘンリー・ミラーは日本に行きたいと思ったらしい。しかし、高齢のため、訪日を断念した。