1900 【向田邦子2】

彼女が登場したのは――まだ戦争の記憶もなまなましい時代、一方で、朝鮮戦争があって、日本が不安な気分に見舞われていたころ。無名の向田 邦子は森繁 久弥のラジオコラム「重役読本」のレギュラー・ライターになりました。このコラムはなんと二千数百回もつづいています。
音だけの世界で、聴取者たちにおもしろい話題を聞かせる。語り口のおもしろさに興味を感じさせなければならない。こうした修行が、後年の向田 邦子の素地を作ったといっていいでしょう。
やがてテレビの脚本家として有名になります。
とりあげられる話題は、ほとんどが人生のささやかなことばかりでした。
向田 邦子は、こうしてポピュリスム(庶民派)の作家として頭角をあらわしてゆきます。「七人の孫」(昭和37年)で、たちまちお茶の間の人気をさらった。今でも「きんきらきん」や「寺内貫太郎一家」などを、なつかしく記憶している人は多いでしょう。
そこでくりひろげられる人間模様は、どこにでもいるような平凡な家族の、とりとめのない話ばかりでした。しかし、向田 邦子のさりげない細密描写には、いつも視聴者の胸をうつものがあった。心のうるおい。その生きかたのやさしさと深さ。庶民だからこそ共感できる感動があったのです。
当時はホームドラマとよばれていました。
向田 邦子の作品には「時間ですよ」、「だいこんの花」、「あ・うん」など、ホームドラマの名作がずらりと並んでいます。
「阿修羅のごとく」(昭和55年)は、まさに、テレビ作家から小説家に変身しようとしていた向田 邦子らしい作品でした。このドラマあたりから向田 邦子は作家になって「おもいでトランプ」の連作、「花の名前」、「かわうそ」、「犬小屋」の三作で直木賞を受けたのでした。

「阿修羅のごとく」がテレビで放映されたとき、それぞれの回数タイトルが、「女正月」、「三度豆」、「虞美人草」、「花いくさ」、「裏鬼門」、「じゃらん」、「お多福」といったものでしたが、なぜか、向田 邦子の人生観を反映していました。それは、愚かで、かなしい人間たちが、それゆえに、いとおしい、やさしさにみちた存在だったからでしょう。
映画監督の小津安二郎が小市民の生活をいきいきと描きつづけたのとにていますが、やはりどこか違います。小津安二郎は、生涯を通じて、老境にさしかかった夫婦や、父と娘の関係を描きつづけましたが、向田 邦子の描く世界は、もっと修羅にみちた、しかし、どこか純粋にドラマティックな世界だったといえるでしょう。

テレビの脚本だけではなく、小説家として多忙をきわめていた向田 邦子は、新しい作品のための取材に出かけるつもりでした。その構想は、台湾を皮切りに、韓国、中国、インド、さらには南フランスを旅行して、それぞれ旅行記を書く。6冊になる予定だったようです。いってみれば、あたらしいルポルタージュを書こうとしていたのでした。
昭和58年8月22日、台北から高雄に向けて飛びたった台湾/遠東航空のボーイング・ジェットが、午前10時10分、台北南西で墜落しました。日本人乗客18人が含まれていましたが、そのなかに向田 邦子が乗り合わせていたのです。

翌日の新聞各紙はいっせいにこのニューズをトップで報じましたが、「毎日」だけはニューズを落としています。日曜日だったので、台湾の航空機の事故などに注目しなかったのでしょう。向田 邦子が遭難したことにさえまるで気がつかなかったようです。「毎日」は翌日になってからやっと報道しています。
ところが、向田 邦子の悲報に私たちはおおきなショックに打たれました。
当時、向田 邦子の本は、「父の詫び状」、「あ・うん」、「無名仮名人物」、「思い出トランプ」、「眠る盃」、わずか5冊だけでしたが、たちまち売り切れて、出版社はいくら増刷しても足りないほどでした。たいへんな人気作家だっただけに、書店に立ち寄って著書を買い求める人が多かったのです。
こういう現象は、三島 由紀夫が自殺した昭和45年秋いらいのことでした。

最後の作品を書きあげる前の向田 邦子は乳ガンの手術をうけたあとでした。「死ぬ」という字が、その字だけ特別な活字に見える、といった毎日だったといいます。ガンには打ち勝ったが、旅客機の事故でなくなった。無意識に死を覚悟していたのかも知れません。
短編集「父の詫び状」のなかで、「誰に宛てるともつかない、のんきな遺言状を書いて置こうかな、という気持もどこかにあった」と向田 邦子は書いていました。なぜか、自分が死ぬことを予感していたのかもしれません。
読者たちは、誰しも、そんなことを考えあわせて、めいめいがこの作家の悲運を心から悼んだのでした。

私は向田 邦子の作品を読むとき、ときどき自分で声に出して読みます。短編でもエッセイでも。
「男どき女どき」のエッセイなどは、活字を追うだけでもほんの二、三分で読めます。しかし、声に出してみると、この作家の心の動き、息づかいまで感じられるのです。
みなさんも、できればほんの一節でいいから音読したほうがいい。自分で口に出して読んでみることです。ドラマのナレーターをやった岸本 加世子や、佐野 量子のように上手に朗読できなくてもいいのです。とにかく自分流に声に出してみる。そうすれば、そのシーンのみごとさが納得できるはずです。
声に出して読んでみると向田 邦子の描き出す人物の心の動きまで、自分にひきつけてわかってきます。
上手に朗読出来る人は、自分がまるで女優さんになったような気持になれるでしょう。こういう作家はやはりめずらしいのではないでしょうか。
そういう意味でも向田 邦子はすばらしい作家でした。