たくさんの人を見てきた。いろいろな国を訪れた。気に入らない仕事もやってきた。女も知った。さて、生きていてよかったと思えるような光景にもぶつかったし、何冊かの本が書けそうなくらいの事柄も心に残っている。
ここに小川 茂久という男がいる。私と同期で、明治大学でフランス文学の教授をやっている。
若い頃の小川は、佐藤 正彰先生、斉藤 磯雄先生の知遇を得た。作家の中村 真一郎さんと親しかった。私の長編「おお 季節よ城よ」には、少年の日の小川が登場してくる。
私は17歳のとき、二歳年長の小川を知った。お互いにドストエフスキー、小林 秀雄に私淑していた。戦争末期、小川が召集されたとき以外は、殆ど毎日のように会って、じつに半世紀近くも過ごしてきた。口論したことは一度もない。こっちが叱られたことはあったが。
酒豪である。東京・神田神保町の酒場「あくね」につれて行ってくれたのも小川だった。いろいろな作家や評論家がとぐろを巻いていたがやがて私も酒徒行伝に名をつらねることになった。
今の私は環境(ミリュー)が違うせいで、あまり会うこともなくなっている。たまに会っても、いまさら文学論をたたかわすこともない。お互いに顔を見ただけで何を考えているか、だいたいはわかっている。
お互いに私生活の話をするでもない。それでいて、以心伝心というか、何でもわかってくれる。おのれの生きかたを他人の考えでなぞって見る必要のない間柄なのである。
こういう男こそ親友といえるだろう。戦時中から戦後、そして現在まで、おなじように生きてきた友人のことを考えれば、いまさら年をとったなどと、驚かずにすむ。
以上は、「日経」(1990年11月23日)に掲載された短いエッセイ。担当は、文化部にいた、吉沢 正英だった。
小川が亡くなって10年。すでに吉沢 正英も亡くなっている。ここに拙文を再録しておくのも、かつての交遊が私の心裡に染みて、忘るることのなきが故である。
