戦後、日本の「新劇」は、チェーホフ「桜の園」の合同公演で復活した。
演出は、青山 杉作。
ラーネフスカヤ(東山 千栄子)、アーニャ(丹阿弥 谷津子)、ヴァーリャ(村瀬 幸子)、ガーエフ(薄田 研二)、ロパーヒン(三島 雅夫)、トロフィーモフ(千田 是也)、ピーシチック(三津田 健)、シャルロッタ(岸 輝子)、エビホードフ(滝沢 修)、フィルス(中村 伸郎)、ヤーシャ(森 雅之)
このキャストに眼をみはった。
その後、私は、ソヴィエトの「桜の園」や、イギリス、アメリカの「桜の園」、めずらしいものとしては、ポーランドの「桜の園」まで見てきた。
しかし、私は、いつも「桜の園」を見るたびに、戦後すぐの日本の新劇人たちの合同公演の舞台を思い出した。今思えば、装置や照明もずいぶん貧寒なものだったし、ラーネフスカヤを中心とする女たちや、とくにトロフィーモフ、シャルロッタをやった千田 是也、岸 輝子夫妻の、教条主義的な芝居には、築地小劇場いらいの、なんとも古風な感じがまとわりついていたが、それでも、私たちはこれからの日本の芝居を見ていたのだった。
あれ程、大きな感動をもって舞台を見たことは、あまりなかったと思われる。
私は、この「桜の園」を見て、自分も演劇という世界で何か仕事をしたいと思った。
私が見た芝居は、「どん底」、「愛と死との戯れ」(俳優座/1946年)、川口 一郎の「二十六番館」、「或る女」(文学座/1946年)、そして、「夏の夜の夢」、「人形の家」(東京芸術劇場/1946年)など。
戦災でまったく無一物になった若者にとって、芝居のチケット1枚を手に入れることが、どんなにたいへんだったか。私が、戦後すぐに原稿を書き始めた理由は、ただひたすら新劇を見るため、新刊書や古本を買うためだった。
やがて、戦時中にかかった肺結核が進行していることに気がつく。
みじめな青春だったが、私は、こうして「戦後」を生きはじめたのだった。
(つづく)
