これも最近、私としてはめずらしい本を見つけた。
田中 千夭夫、内村 直也・編 「新劇手帖」(創元社)昭和27年刊。250円。
かんたんに、内容を紹介すると――
「演劇とはどういうものか」という大項目に、岸田 国士、田中 千夭夫、装置家の伊藤 喜朔のエッセイが並び、つぎの「世界の演劇」という大項目では、イギリス演劇(内村 直也)、ドイツ演劇(遠藤 慎吾)、フランス演劇(原 千代海)、ロシア演劇(野崎 詔夫)、アメリカ演劇(杉山 誠)、日本演劇(菅原 卓)といった、当時、錚々たる人々が、それぞれの分野の演劇事情を紹介している。
その末尾に、「世界の演劇人」という項目があって、筆者は内村 直也、中田 耕治。
(むろん、内村先生が執筆したわけではなく、項目の選択、執筆、すべて私が書いた。つまり、こういうかたちで、私は原稿料を稼ぐ機会をあたえていただいたわけである。)
内容は――16ページに、百人ばかりの演劇人をとりあげて、かんたんな経歴を書いただけのもの。まあ、バカでもできる仕事だろう。
たとえば――ルイ・ジュヴェの項目は、
ジューヴェ ルイ Louis Jouvet(1887ー1951)仏 演出家・俳優。ヴィュ・コロンビエ座出身。コメデイ・デ・シャンゼリゼに移り、後にアテネ座を主宰す。代表的な上演目録は「トロヤ戦争は起らないだろう」「シグフリード」「アンフィトリオン38」「オンディーヌ」「シャイヨの狂女」「女房学校」「ドン・ジュアン」「タルチュフ」「海賊」「地獄の機械」など。驚異的な迫力をもつ演技と、特異な風貌をもって知られる。ジロードゥとの友情は有名。近代フランス劇壇の偉材。
とある。(10行)ジロードゥーは6行。シャルル・デュランが3行。
バーナード・ショーが8行。ロバート・シャーウッドが5行。ローレンス・オリヴィエが3行。
1947年、ルイ・ジュヴェに対する私の関心が大きかったことがわかる。
後年、私はルイ・ジュヴェの評伝を書いたが、おかしなことに――ここにリスト・アップした人々の大部分(ただひとり、中国の劇作家としてとりあげたツァオ・ウまで)を登場させている。
このことに気がついたとき、われながら茫然とした。
つまり、私は「戦後」すぐに自分がとりあげた百人ほどの人々の仕事をずっと追いかけつづけてきたことになる。
この「新劇手帖」でとりあげたときは何ひとつ知らなかったのだから、それだけ勉強してきたことになるけれど――じつは、私のやってきたことは、この百人の人々のことをひたすら理解しようとしてきただけなのか。
そう思うと、なぜか、総毛だつような思いがあった。「この小さな「新劇手帖」の、わずか十数ページに、私の未来の全てが凝縮されていたのかも知れない。
このおもいがけない「発見」に、私はしばらく考え込んでしまった。
驚きのひとつは――私の演劇の知識はこの時期からほとんど変化していない。ということだった。
ゲッ、おれの頭は半世紀にわたって、ほとんど進歩しなかったのかヨ。
つまり――私の演劇観のほとんどは、このへんぺんたる小辞典によって作りあげられたものなのか。(ほかの分野の知識にしたところで、私の勉強などたかが知れている。)
むろん、その後の私は、かなり多数の芝居を見てきたし、実際に舞台の仕事にたずさわってきた時期もある。
しかし、私の頭は半世紀にわたって、ほとんど進歩しなかったらしい、という思いは、さすがにコタえた。
その私のそもそもの出発のすべてがここにあると知って、驚きよりも何も、自分の知識の貧しさ、とぼしさにあきれた。おのれの才能がなかったことに、うちのめされたといっていい。
こうなると、笑うしかない。
もっとも――こんな機会に、私に少しでも世界の演劇について勉強をさせてくださった内村先生に対する感謝の思いがよみがえってきた。
(つづく)