今年の夏も暑い。まあ、あたりまえの話。
涼しいことを考える。
夏河を越すうれしさよ 手に草履
有名な句。なんともうらやましい。暑さしのぎに、わざと橋をわたらずに、川の中をジャブジャブ渡ってゆく、という趣向がうれしいけれど――私の住んでいる町には、そんな川もない。小さな川はあるのだが、両岸ともコンクリートの護岸工事で、うっかり川に入ったら這いあがれない。
涼しさや 掾(えん)から足をぶら下げる 支考
これぐらいなら私にもできる。しかし、わが家には掾側(えんがわ)もない。ビルの窓から、足をぶら下げたら、さぞ涼しいだろうが、すぐに防犯カメラに撮られて、警備員につかまっちまうね。ボケ老人の徘徊ということになるかも知れぬ。
此のふたり 目に見(みゆ)るもの みな涼し 芭蕉
私の詠む句なら――このふたり 目に見(みゆ)るもの 暑苦し。
私が、ときどきこのブログで俳句をとりあげるのは――もはや、はるか遠く過ぎ去った風物を、心のスクリーンに映すようなものかも知れない。
関守の宿を 水鶏(くいな)に問はふもの 芭蕉
ほととぎす 声横(よこた)ふや 水の上 芭蕉
涼しさ、かぎりなし。ただし、水鶏(くいな)も、ほととぎすも、見たことがない。
そこで、とっておきの一句を。
河童の戀する宿や 夏の月
これなら涼しいが――私の場合は、
河童 また失戀したか 夏の月
どうも暑苦しい句で、ごめんなさい。