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私は昭和14年(1939年)、仙台市の荒町尋常小学校を卒業した。

思いがけず、その小学校の卒業記念の写真が出てきた。

この年になると、小学校の思い出も茫々たるもので、荒町の通りに並んでいたわずかばかりの店や、小さな神社のお祭りに出る小屋掛けの見世物、呼び込みの胴間声、子ども相手の屋台店のアセチレンの灯、ときには田舎芸者の手踊り、ぞめき歩く見物人の流れ。そんな光景が、ぼうっと眼にうかんでくる。
日中戦争がいつ終わるかわからないのに、ヨーロッパで戦争が起きていた。どこの町でも、赤紙一枚で出征する男たちを見送る人々の集まりが見られた。まだ小学生の私には、戦争は切実なものではなかった。

その後、東京に戻ったが、少年時代の思い出にかかわるものは戦災ですべて焼失した。

戦後になって、友人、亀 忠夫が、小学校卒業の記念写真をコピーして贈ってくれたのだった。

ずっと大切に保存していたのだが、どこかにまぎれてしまって、いつしかこの写真のことも忘れてしまった。

ここに写真の一部をのせておく。
私は最前列にすわっている。1クラス、60人のクラスが四つ。私は、第29学級だった。
他人には何の意味もない写真だが、老作家の身には、はるかな過去が不意によみがえってきた思いがあった。

この写真、同級生のなかで、いちばんのチビだった。
子どもたちは、みんながくったくのない表情を見せているが、私ひとりは少し斜めに顔を向けている。未決定の将来に、わずかながら恐れを抱いているように。