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明けましておめでとうございます。
今年が、みなさんにとってよい年でありますように。

新年を迎えて、今年こそはと思う。私も、毎年、人並みにそんなひそかな誓いを口にしてきた。しかし、もはやそんな愚にもつかぬことはくり返さない。
ひとつには――江戸の三文作家で、のちに出家して禅を説いた鈴木 正三(すずき しょうさん)に共感をおぼえるからである。

年月は重り候へども、楽みは無して、苦患は次第に多く積るに非や
(としつきはかさなりそうらえども たのしみはなくして、くげんは しだいにおおくつもるに あらずや)

私にしても、歳月とは降りつもる苦患の数々にほかならぬ。

さらにいえば、「人生の真実は寂寞の底に沈んで初めて之を見るであらう」とする荷風に共感する。「四月は残酷な月」ならば、五月も、六月も、夏も秋も、さらには冬もそれぞれに残酷な季節に変わりはない。それならば、おのれの修羅を生きなければならぬ。それが寂寞というものだろう。
さて、江戸の作家、鈴木 正三はいう。

人間の一生程、たはけたる物なし。

笑った。こいつはいいや。さすがに江戸の文人は、平成のもの書きと違って肚のすわりかたがちがう。
画家、谷 文晃の辞世を思い出す。

長き世をばけおおせたる古狸 尾さきな見せそ 山の端の月

正月早々、辞世などとは縁起でもないとお叱りをこうむりそうだが、ここにも人間の一生程、たはけたる物なし、と覚悟した男のみごとさがある。これをしも、めでたいと観じてどこがわるいか。

その私が、あらたまの年に、ひそかに心に刻みつける一首がある。

いきのをに思ひひそめてありしかば、逢ふこともなく人はなりつも

釈 超空。