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これまで嫌いなヤツのことを書かなかった。嫌いなヤツのことは、考えるだけで不愉快になる。ならば黙殺したほうがいい。だから、いつも興味がない顔をしてきたような気がする。
しかし、人生の終わりが見えてきているのに、嫌いなヤツのことを書かないというのも芸のない話だと思う。たまには、嫌いなヤツのことを思う存分こきおろすという趣向があってもいい。なんてったって、Cranky old man だからね。

歴史上の人物で、こいつのことを考えるだけで膚に粟を生じる、というヤツもいる。
まずは徳川 家康。

徳川 家康のすべてが大嫌い。人となり、外見、風貌、性格、女の趣味、歌、何から何まで反吐が出る。戦国武将のなかで、最低のクズだと思っている。
したがって、林 道春、金地院 崇伝などは、最低のクズに拝跪して恥じぬ下郎ども。ことごとく、侮蔑、唾棄すべき奴輩にすぎない。

関が原に敗れた石田 三成が、家康の面前に引き出されたとき、家康は三成に向かって、「良将なり、惜しい哉」と、嘆声を放った。そして、並みいる諸将に向かって、 「太閤(秀吉)恩顧の諸将、あまたありしなかに、三成ひとり、奮然たって大軍をおこしたるは忠士というべきか」と問いかけた。
これは「国事昌坡問答」という書物(宝暦三年/1753年)にある。

これほど鉄面皮、偽善な発言はない。
自分の前に引きすえた敵将をほめそやす。殊勝と見える。じつはおのれの勝ちを誇り、おのれに従った諸将に、みずからの寛仁をアピールする。そして、縲絏(るいせつ)の辱(はず)かしめを三成に思い知らせる。
かつて三成の同輩だった「太閤(秀吉)恩顧の諸将」に向かって、わざわざ、故太閤(秀吉)恩顧を語って、おのれの戦争責任を正当化してみせながら、「三成ひとり、奮然たって大軍をおこしたるは忠士というべきか」と恫喝する。そして、この「問い」に、「これ是なり」と、自問自答してみせた。
手のこんだやりくちである。これほど、巧妙、卑劣な手口があろうか。
家康の心事のいやしさ、醜陋、厚顔無恥は、断然、他の追随をゆるさない。

考えてみると、徳川 家康こそいちばんの Cranky old man だね。
嫌いな日本人の代表として、まずもって徳川 家康を眼前にひき据えよう。
(つづく)