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1921年、ルイ・ジュヴェは、恩師のジャツク・コポオと対立したため劇団内部で孤立、舞台に立つことが許されず、もっぱら裏方にまわり、髀肉の嘆をかこっていた。ようするに、師にうとまれて冷遇されたのである。
師弟対立の原因はいろいろあるのだが、劇団の創立メンバーでありながら、経済的に恵まれなかったことも遠因と見ていい。

そのへんのことは評伝『ルイ・ジュヴェ』で暗示しておいた。ただし、評伝を書く場合、調べてわかったことを全部並べても意味はない。私の『ルイ・ジュヴェ』はなにしろ長い評伝だったし、この時期のフランスの小劇団の財政状態など、くわしくとりあげる余裕がなかった。

けっきょく、出版にあたってカットしたし、原稿も全部焼き捨てた。

その頃の日本の俳優の収入はどういうものだったのか。こちらの資料だけが残っている。焼き捨ててもいいのだが、何かの参考になるかも知れない。

歌舞伎の大名題の月給は、7円80銭。6円80銭。5円80銭。
少しさがって、中堅から、3円20銭。2円20銭。90銭。
「帝劇」の座付きが、6円、5円80銭。3円80銭。1円50銭。60銭。
「明治座」の左団次が、4円50銭。3円80銭。3円30銭。1円90銭。
1円90銭。1円50銭。60銭。
「市村座」が、4円80銭。4円40銭。3円60銭。2円20銭。1円90銭。1円70銭。1円60銭。1円10銭。90銭。
これに、権十郎、小団次などの小芝居がならぶ。

その頃の物価を比較すれば、なんとなく当時の俳優の生活が見えてくる。