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 古い小説をよんでいると、「細君」ということばにぶつかる。
 「妻君」という意味だということはわかる。どうして、「細君」なのだろうか。

 「広辞苑」では・・・・「細」は、小の意。「妻君」と書くのは当て字。
1) 他人に対して、自分の妻をいう語。
2) 転じて、他人の妻をいう語。

 ようするに、妻、奥さん。
 しかし、ほんらいは違うことばだったらしい。

 漢の武帝は、強大な匈奴の侵入に悩まされていた。そこで、烏孫(うそん)の王、昆莫(こんばく)に、姪の細君をつかわすことにした。兄の劉建の女(むすめ)で、後世、烏孫(うそん)公主として知られる女性である。もとより政略結婚であった。
 烏孫は今の新彊ウィグル地区という。

 清の歴史官、齊 召南の『歴代帝王年表』には、わずかに一行、
     元封六年 宗室の女を以て烏孫に嫁せしむ。
 と出ている。名前の記載もない。キリスト紀元前104年。
 昆莫(こんばく)は、しばらく公主と親しんだが、孫の岑陬(しんすう)に与えた。「細君」の名のように、ほっそりした美少女だったのだろう。

 烏孫公主の詩がつたえられている。「悲愁の歌」という。

     居常 土思(どし)して 心内 傷(いた)む
     願わくば 黄鵠(こうこく)となり 故郷へ帰らむ

 いつもいつも、漢土を思って、私の心は悲傷がこみあげる。願わくば、おおとりになって、遙かな故郷に帰りたい。

 いまでは、妻、奥さんの意味の細君は死語となった。しかし、こんなことばにも、女の歴史が秘められている。