864

 文学専門の批評家なのに、古典を知らない。さらには、古典の詩歌を知らない。
 恥ずかしながら、私もそんなひとりだった。

 俳句を論じたことがある。子規からはじめて、大正期の俳句まで、二年間、講義をしたのだが、学生たちがほとんど理解できないと知って、この講座は中断した。

 短歌についていえば、「アララギ」以後の歌人のものはずいぶん読んできたが、古典、とくに中世の和歌についてはほとんど知らない。
 中世の和歌について語らない理由のひとつは――俳句なら即座に思い出せるのに、和歌となると、なかなかおぼえられない。思い出せないことが多い。

    月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして
 読みやすいように上下に わざと空間を置いたが この和歌はおぼえていても、

   里はあれて月やあらぬと怨みても 誰 浅茅生に衣うつらん     良経

   身の憂さに 月やあらぬとながむれば 昔ながらの影ぞ もりくる  讃岐

 という連想がはたらかない。

 だから、読むには読む。鑑賞もするけれど、和歌についてはまともに論じる教養がない。もうすこし勉強しておけばよかったと思うけれどもう遅い。

   はるかなる岩のはざまに独(ひとり)いて人目思はでもの思はばや  西行

 こういう心境になれないのも、和歌を理解することが少ないせいだろう。